2024年2月20日火曜日

「知」とか「知ること」とか「知るということ」とか

 

 

 

ジャン=ピエール・ルフェーヴルのフランス語訳で*

眠る前に

布団に寝っ転がって

ヘーゲルの『精神現象学』を読んでいたら

ふつうの日本語の翻訳でなら

「知」と訳されてしまう語がle savoirとなっていて

この語は

なるほど「知」とも訳せるが

「知ること」とか「知るということ」ともとれるので

なんとなく

そんな精神的な「知る」しくみと受けとめて

読んでいったら

日本語訳ではご大層に小難しくなるヘーゲルの文が

もっとわかりやすくなるように感じた

 

「知」と言ってしまえば

どうしても

「知ること」のコンテンツに焦点があたる

しかし

「知ること」とか「知るということ」と読めば

知覚のありかたとか

知覚のシステムということになって

哲学においては

これはもう

まったく異なった様相を呈する

 

やっぱり

いくら専門外のヘーゲルとはいえ

ヨーロッパ語の哲学を

日本語訳で読んでいるのはやばいなあ

などと

思い直したし

恐ろしくもなった


 


*Hegel : Phénoménologie de l’esprit, traduction par Jean-Pierre Lefebvre, GF Flammarion, 2012






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