2024年2月26日月曜日

凸記憶、熱帯魚屋!

 

 

 

おお! みずからを誤解した若き日の憧れよ!

わたしが憧れて求めた者たち

わたしが自分の血縁と思い、

自分とともに変わってゆくと思い込んでいた者たちも

彼らは年老いた、老いた彼らを追いやってしまったのだ。

わたしの血縁として残ったのは、変わってゆく者だけだった。*

ニーチェ 『善悪の彼岸』

 

 

 

 

若い頃には

日々

おもしろくもないような

くり返しのなかで

なぜか

記憶に鮮烈に残り続けていく瞬間が

ある

 

何年も経って

何十年も経って

そうした瞬間が

くっきりと

記憶のなかの凸として

際立ってくる

 

ほかの瞬間の記憶も

おぼろげになっているわけでも

ないのだが

まずは

凸記憶がはじめに蘇り

そこから

意識が山のふもとへ降りていくように

ほかの記憶も

忘れられてなどいないのが

わかってくる

現像され直してくる

 

池の上に住んでいた頃

思い出されること

思い出されるべきことは

いっぱいあるのに

なぜか

北沢1丁目33番の踏切近くの

熱帯魚屋が

真っ先に思い出されてくる

 

店に入ったことは一度もないので

正確には

その熱帯魚屋の前を

歩いて行く時のことが思い出される

というべきか

 

当時の池の上には

ろくなスーパーがなかったので

日用品の買い物をするには

下北沢まで15分ほど歩き

北西側の駅前にあった富士銀行わきのピーコックや

南西側にあった忠実屋を使う

日本では見つけるのが困難だった

フランス風パンや

ドイツ風パンを買うのは

北沢2丁目26にあったナチュラルハウスでだった

茶沢通りに出る商店街のなかの

北沢2丁目12あたりにあったサン=ジェルマンでも

当時は良質のパン・コンプレが買えた

 

日用品の買い物というのは

いつものことだが

予定していた以上にいっぱい買ってしまい

重いレジ袋を下げて

うんざりしながら

帰ってくることになる

 

春や秋の好日ならいいが

真夏の猛暑の昼など

下北沢から池の上に歩くのは

難儀だった

茶沢通りを渡って

北沢1丁目38番のほうに入ると

道は急坂となり

「池の上」という名前の地域よりも

「下北沢」がどれだけ深く低地にあるか

足腰で実感させられることになる

真冬に大雪が降ると

この急坂は凍った坂になるので

上るのも下るのも大変だった

若かったので

そんなことのすべても

面白かったけれども

 

「池の上」はかつて水辺の低地だったのか

と思っていたが

むしろ「下北沢」のほうが昔は池のようになっていて

そこよりも高台で「上」だから

「池の上」という名が

つけられたのかもしれない

「北沢」とか「代沢」とか

地区名には「沢」が付いていたので

水気の多い土地には違いなかったのだろうが

それでも

「北沢」や「代沢」には

立派な家が多かったので

いくらかは高台だったのだろう

 

下北沢でたくさん買い物をして

茶沢通りを渡って

「北沢」と「代沢」のあいだの急坂を上って行くと

坂を登り切るあたりに

大谷石を組み上げた土台の上に聳えるお屋敷があって

「辻瑆」と表札があった

画家「辻永」の子息で

カフカに特に詳しいドイツ文学者で

東大教授だった「辻瑆」の家と見えた

このひとの兄は「辻昶」で

フランス文学者であり

ヴィクトル・ユゴーを専門としていたが

広範囲の翻訳もあって

シャトーブリアンの『アタラ』や『ルネ』の名訳もある

大谷石を組み上げたわきを通るたびに

こんなお屋敷には一生住めないだろうな

などと思いながら

北沢2丁目34から左に曲がると

井の頭線の線路を渡る踏切が見えてくるが

その道の右側

代沢2丁目44のところに

件の熱帯魚屋はあった

 

買った品物を詰めた重いレジ袋を

両手に提げ

急坂を上って

「辻瑆」のお屋敷を過ぎ

井の頭線の踏切のカンカンいう警笛が聞こえるあたりで

熱帯魚屋!

なの

だった

 

しかも

全身汗まみれになり

ほうぼうの木々から蝉の声が降り

不快指数極まるような

真夏の猛暑の昼などには!

 

この

熱帯魚屋!

の前を

通る際には

ワンパターンの

固定観念のように

カミュの『異邦人』の

「太陽がまぶしかったから…」が浮かび

ニーチェの『善悪の彼岸』の

結びの歌「高き峰々より」の

「おお、生の真昼よ!晴れやかな時よ!」*が浮かんだ

 

この

熱帯魚屋!

実体験し続けているさなかでも

将来

カミュやニーチェを思い出すように

ぼくは

この

熱帯魚屋!

凸記憶として

ことあるたびごとに

思い出し続けるのかもしれない

ぼくだけの

ワンパターンの

固定観念のように

 

まさに

ワンパターンの

固定観念として

 

そう!

思い出しているのだ!

 

いま

ぼくは

 

いまだに

ぼくは

 

池の上駅から西にふたつめの踏切の近くの

あの

熱帯魚屋!

を!

凸記憶として!

 

入ったこともない

熱帯魚屋!

を!

凸記憶として!

 

数えきれないほど

たくさん

その前を歩いて過ぎた

熱帯魚屋!

を!

凸記憶として!

 

凸記憶、熱帯魚屋!

 

凸記憶、熱帯魚屋!

 

凸記憶、熱帯魚屋!

 

凸記憶、熱帯魚屋!

 

 


 

 

*ニーチェ『善悪の彼岸』(中山元訳、光文社古典新訳文庫)







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