2024年3月1日金曜日

世界はいつも冗談をしかけてくる

 

 

 

世界はいつも

冗談をしかけてくる

 

身のまわりのものも

からだのなかも

こころのありようも

ぜんぶ含めて

世界と呼んでいる

 

こちらの自由になかなかならず

つき合わねばならないもの

なにかしら

いつも対処しないといけないもの

すべてを

世界と呼んでいる

 

世界はいつも

戯れていて

ふざけていて

いたずらをしかけてくる

 

なにかというと

ちょっかいを出してくるし

こちらが望んでもいなかったことを

おっかぶせてくる

想定もしていなかったことを

魔法のように

ありありと立ち上がらせ

こちらがどのくらいあわてふためくか

どたばたと

急場しのぎをしまくるか

それを見て楽しみ

腹を抱えて笑ったりしている

 

ある頃から

こういう

世界の本質に気づいた

 

世界に負けないほど

戯れ好きで

冗談好きで

年中ふざけていて

いたずら好きだったものだから

世界の手管を

見抜くことができた

 

しかけてくる

戯れや

いたずらに

適当につきあっておいてやるのが

世界との

つき合いかたとしては

いちばんいい

 

お笑い芸人のコントのように

わざと大げさに

あわてふためいたり

スッテンコロリンと転んでみたり

大口あけて嘆いてみたり

わんわん泣いたりしてみせてやるのが

たぶん

いちばんいい

 

もちろん

蛙のつらに水

とばかりに

雨が降ろうが

槍が降ろうが

爆弾が降ろうが

原爆が降ろうが

ホロコーストされようが

おやまぁ!

とばかりに横目に見て

騒ぎもせずに

黙々と

衣食住の最低限のことをやり続けるのも

対世界にはけっこう効く

 

良寛の言った

 

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候 *

 

こちらのやりかたの

上級者版

 

小伝馬町の

伝馬町牢屋敷で斬首される時に

吉田松陰のように

首切り役人がすこしでも切りやすいよう

ひょいと首を伸ばして差し出してやるのも

なかなかの

上級者版

 

どうして

このような行動が

やすやすとできるようになるかというと

クリシュナムルティの言うような

世界観が

かれらの内には

確立されていたからだろう

 

クリシュナムルティいわく

「この世界で得られるものはなにもない

この世界には重要なものはなにひとつない」

 

さらに言い足せば

人間であること

人間であろうとすること

一定の期間のあいだ人間であったことなどによって

学びとれることはなにもない

人間でなくなった後の境域へと大事に運んでいくべき知や能力など

ひとつもない

人間の枠から出た

より広大無辺の非人間の境域においては

人間の知も習慣も情も

ひとが魂や霊などと呼びたがるものも

なんの役にも立たないし

役立てうる場所も機会もどこにも存在しない

精励刻苦して生きぬいた人間といえども

死んだ肉体を焼く火のちからや

死体を腐敗させる土のちからには必敗する

身心のちからの満ちている時に精神力や忍耐力や才覚を誇ったとしても

老いと衰弱という最強の仕置人に勝てる人間は

どこにも

いつの時代にも

ひとりも

いない

 

 

 

 

*1828年冬、1500人以上の死者を出した新潟の三条の大地震の際に、子供を亡くした山田杜皐に良寛が送った見舞状の一部。

 





0 件のコメント:

コメントを投稿