世界はいつも
冗談をしかけてくる
身のまわりのものも
からだのなかも
こころのありようも
ぜんぶ含めて
世界と呼んでいる
こちらの自由になかなかならず
つき合わねばならないもの
なにかしら
いつも対処しないといけないもの
すべてを
世界と呼んでいる
世界はいつも
戯れていて
ふざけていて
いたずらをしかけてくる
なにかというと
ちょっかいを出してくるし
こちらが望んでもいなかったことを
おっかぶせてくる
想定もしていなかったことを
魔法のように
ありありと立ち上がらせ
こちらがどのくらいあわてふためくか
どたばたと
急場しのぎをしまくるか
それを見て楽しみ
腹を抱えて笑ったりしている
ある頃から
こういう
世界の本質に気づいた
世界に負けないほど
戯れ好きで
冗談好きで
年中ふざけていて
いたずら好きだったものだから
世界の手管を
見抜くことができた
しかけてくる
戯れや
いたずらに
適当につきあっておいてやるのが
世界との
つき合いかたとしては
いちばんいい
お笑い芸人のコントのように
わざと大げさに
あわてふためいたり
スッテンコロリンと転んでみたり
大口あけて嘆いてみたり
わんわん泣いたりしてみせてやるのが
たぶん
いちばんいい
もちろん
蛙のつらに水
とばかりに
雨が降ろうが
槍が降ろうが
爆弾が降ろうが
原爆が降ろうが
ホロコーストされようが
おやまぁ!
とばかりに横目に見て
騒ぎもせずに
黙々と
衣食住の最低限のことをやり続けるのも
対世界にはけっこう効く
良寛の言った
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候 *
は
こちらのやりかたの
上級者版
小伝馬町の
伝馬町牢屋敷で斬首される時に
吉田松陰のように
首切り役人がすこしでも切りやすいよう
ひょいと首を伸ばして差し出してやるのも
なかなかの
上級者版
どうして
このような行動が
やすやすとできるようになるかというと
クリシュナムルティの言うような
世界観が
かれらの内には
確立されていたからだろう
クリシュナムルティいわく
「この世界で得られるものはなにもない
この世界には重要なものはなにひとつない」
さらに言い足せば
人間であること
人間であろうとすること
一定の期間のあいだ人間であったことなどによって
学びとれることはなにもない
人間でなくなった後の境域へと大事に運んでいくべき知や能力など
ひとつもない
人間の枠から出た
より広大無辺の非人間の境域においては
人間の知も習慣も情も
ひとが魂や霊などと呼びたがるものも
なんの役にも立たないし
役立てうる場所も機会もどこにも存在しない
精励刻苦して生きぬいた人間といえども
死んだ肉体を焼く火のちからや
死体を腐敗させる土のちからには必敗する
身心のちからの満ちている時に精神力や忍耐力や才覚を誇ったとし
老いと衰弱という最強の仕置人に勝てる人間は
どこにも
いつの時代にも
ひとりも
いない
*1828年冬、
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