むかし書いた
ルソーについてのおはなしに
じぶんで
唸ってしまう
楽しんでしまう
2000年の
7月14日の
こんな日記
○七月十四日金曜日
ルソーは、下宿の女中あがりだった生涯の伴侶テレーズに、時計の読み方を教えようとした。ずいぶん骨を折ったが、テレーズはまったく時計というものを理解しなかった(『告白』)。テレーズのこの無知をルソーは愛していたらしい。このことの意味は深い。時計職人の子に生まれ、時計によって一般人を産業奴隷に作り変えていく体制が進みつつある頃に、その体制と真っ向から闘う思想(俗に言う「自然に帰れ」)を紡いでいたこの男にとって、時計を理解しない女の存在は、目の前に生きる永遠の革命そのものと見えていただろう。パリを去って隠遁生活に入る時、ルソーは有頂天になって自分の時計を売り払ってしまうが、生涯において、これがもっとも幸福な瞬間であったと、やはり『告白』で書いている。
「裸の王様」をマイナスの色合いで物語作家が捉えた頃には、ヨーロッパ人たちの洗脳はすっかり終了してしまっていた。真の王様であるなら裸であるに決まっているのに、時計を持ち、ケータイを持ち、モバイルを持つことこそ王様であると思い込ませた功績の源は、やっぱりプロテスタント坊主たちにあるのだろうか。ピョートル大帝は、ロシアの雪の原野での排便時、長い槍で狼たちを追い払いながらイタシタという。この槍程度の実用品所有に留めておくのが、真の王者たる者の知恵というもの。児孫のために美田を買わず。現代のモバイル・ビジネスメン、ケータイギャルたちの孫やひ孫はどれほどの重装備になっていくことか。それも粋ってモンかしら?
2000年の駿河昌樹よ
2024年には
ほんとうに
モバイル・ビジネスメン、ケータイギャルたちの孫やひ孫は
スマホという板一枚持ちを信条としているが
機能的にはすごい重装備になってしまっているよ
そうして
つけ加えるが
2000年のきみの文体から
2014年のぼくは
ほとんど変化しなかった
きみがこれを書いたのは
きみの個人雑誌『ぽ』19号だが
『ぽ』は現在も継続中だ
いまこうして書いている書き付けを載せるのが
ちょうど
7047号になるよ
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