2000年7月26日には
こんなことをぼくは書いている
○七月二十六日水曜日
某日、新宿紀伊国屋ビル地下の男子便所に入ると、だれも男性使用者のいないかわり、掃除婦が男性用小便便器の前に坐りこんで、なかに手を突っ込み、隅々をタワシで洗っていた。力を入れて、じつに丁寧な洗いようだ。すこし前に彼女が洗ったであろう便器を使うのは済まないような気もする。が、いちばん端のきれいな便器に立ち、ジュリアン・ソレルはファスナーを下げ、排尿器を出して尿を放出した。
掃除婦マチルドは、ひとつ離れた便器を丹念に洗っている。それに寄りかかり、覗き込み、ときどき独り言を言っている。ジュリアンは、そちらへの自分の身体の平行移動を、ふと想像した。そうすれば、彼女の顔や手の像と、排尿器の像とが重なる、と。
マチルドの顔は、現在のジュリアンの排尿部位から二メートルとは離れていない。この状況を彼は楽しんだ。羞恥心がさほど働かない自分のこころの様子を楽しむ。
若い会社員ふうの男が入ってきたが、開いている便器がふたつあるにも関わらず、掃除婦を見て、あきらめて出ていく。ばかな奴だ、とジュリアンは思った。
ホテルで、有色人種のボーイの前で平気で全裸になったり、場合によってはセックスもする富裕な白人女性が少なくないと聞いたことがある。有色人種のボーイを人間と見なしていないからだ。犬や猫の前で裸になるのを気にしないのと同じことだという。
マチルドの前で排尿するのを同じことだと考えたわけではない。いまのマチルドは、だれよりも尊敬に値する。丹念にこういう作業をする人間に敬意を抱くという価値観を、ジュリアンは保っている。
彼が考えたのは、たったひとつのこと。マチルドはたしかに、便器を掃除するということで稼いでいるかもしれないが、エネルギーの効率という観点から見れば、こんなやり方はムダが多過ぎる、ということだ。すぐにも尿の汚れがこびりつく便器を、あのようにしっかり洗う、それに金を払う、それで金を貰う、という仕組みは、地上でのエネルギーの回転全体で見れば愚劣な選択である、と。彼女の筋力も、注意力も、時間も、もっとべつのことに向けるべきだと思われたのだった。便器というものの構造自体に、まだまだ考え直すべき欠陥が多く存在しているのだ。尿による汚れ自体で洗浄のなされるような仕組みをこそ、考え出さねばならないはずではないか、工学技師諸君?
それにしても、こういう誠実勤勉な人材こそ、雪印乳業には必要だった。
ジュリアンの想像が複合化する。
白い便器の横に、隣接して、牛乳タンクのバルブがある様を想像する。それを彼女が丁寧に洗っていく。
どうせなら、便所のなかにミルクスタンドを作って、老若男女が裸で新鮮なミルクを飲めるような設備を作ったらどうか、と想像する。
さらには、手足を枷で固定し、ミルクを管で喉からたえず流し込み、排尿もすみやかに行えるように管を挿入し、という光景が国中に、いや、世界中に広がったらどんなに喜ばしいことか、と……
「人生などは、下男に任せておきたまえ」とリラダンはどこかで書いていなかったか。
いつも、こんな脳のまま。
そうしてジュリアンは、これを、死まで抱えていく……
新宿の紀伊國屋本店の地下のトイレは
だいぶ後になって再訪した際も
おなじ作りのままだった
将来あれを壊して作り直す際
配管の内側には
どれほどの量の男性諸氏の尿のぬめりが
こびり付いているのが見られることだろうか
「それにしても、こういう誠実勤勉な人材こそ、雪印乳業には必要だった。」
という文が
2014年時点から見ると
あまりに唐突な印象で出てくるが
2000年6月から7月に
戦後最大の集団食中毒事件といわれる
被害者数14780人にのぼる雪印集団食中毒事件が発生したのだった
雪印グループは全品回収をし
信用は完全に失墜し
経営も悪化して
グループは解体再編を余儀なくされた
日記に牛乳にまつわる幻想が出てくるのは
このためである
雪印集団食中毒事件よりも
人数的には小規模な
小林製薬紅麹コレステヘルプ事件の起きている今なら
便器のわきに
アセロラジュースのタンクでも置く幻想を
書いてみるかもしれない
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