2024年4月11日木曜日

いちめんのなのはな

 


 

桜並木の続く千鳥が淵の一所には

菜の花が群生していて

ことのほか

美しい場所があった

 

千鳥が淵戦没者墓苑に近いところだったが

桜と

菜の花の黄色と

晴れていれば空の青さとが

いっしょに目に入り

濠の水のきらめきもいっしょに見えて

写真を撮るひとたちには

毎年のように

恰好の撮影スポットとなっていた

 

それが

今年2024年には

消滅していた

 

菜の花は根こそぎ刈り取られて

丈の短い雑草が

地面に生えているだけになっている

 

昨今目立つ

悪い整備のしかたのひとつ

と見えた

 

ポイントになる

ひとつの植物だけを残して

ほかの植物を除いてしまったりする

あるいは

なにかのオブジェだけを目立たせようとして

まわりの植物を抜いてしまう

 

イギリスふうの

さまざまな植物が集まって生え

雑然としているようでも

季節ごとに

多様な景観をもたらす造園や

日本の昔の

手入れのされなくなった荒れた庭の

紅葉したり

とりどりに花を咲かせる雑草の群れ繁るさまの

好きなわたしには

さびしいこと

この上ない

人造的な庭づくりに

見えてしまう

 

千鳥が淵などは

そもそも庭ではないのだから

菜の花が咲き乱れている一画があったほうが

あの濠や傾斜にふさわしいのに

なんでも小ぎれいに整え

高層ビルの下にちょこっと設ける

管理し過ぎの庭のようにされてしまっては

せっかく自然っぽさが淵に残っていたというのに

削ぎ落とされてしまって

ひたすら管理思想へとのみ傾斜していく

現代社会の表象としてしか

見えなくなってしまう

 

失われた菜の花の姿を

千鳥が淵の

昨年まで咲き乱れていた菜の花のあった場所で

つよく

はげしく

思い出しながら

わたしの脳の言語野にフッと蘇ったのは

山村暮鳥の

あの菜の花の詩だった

 

近代日本語の詩として

絶唱のひとつであり

文でなく

文章でなく

短歌でも俳句でもなく

メール文でもなく

SNS文でもない文字表現として

格別の完成度を示した

あの詩だった

 

 

 

風景 純銀もざいく

山村暮鳥

 

 

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな






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