2024年9月11日水曜日

つかの間の物質界という夢なのだからね

 

 

 

ああした遊びもみんなやってみた

ル・クレジオ 『愛する大地』

 

 

 

 

いろいろな種類のSNSを使いはじめてから

新たな玩具を手に入れた子どものように

知りあいたちにメッセージを送り続け

写真や動画さえも加えて

個人の放送局なみのニュース配信じみたことさえやってみて

はやくも数年が経った

 

SNSに限らず

モニターなるものを見つめることでのみ成り立つ

そうした情報のやりとりが

いつのまにか

ずいぶんと目を疲弊させることに気づき

脳も疲弊させることに気づいて

長いあいだには

これはよくないなあ

と思うようになっていた

 

うずうずと

どこかで

こうした端末遊びをやめるべし

という思いが高まってきていたが

今年の春夏

とうとうきっぱりと

玩具の放擲にこころは向かうことになった

 

SNSを毎日送り続けていた相手数十人に

とうとうきっぱりと

なにも送らなくなり

あたかも突然の絶縁をしたかのようになった

 

相手にSNS

ごたごたとメッセージだの

情報だの

返信につぐ返信のさざ波だのを

送らないということは

なんといっても

相手の目を守ることであり

相手を脳疲労から守ることなのだから

なにも送らないという行為は

りっぱな人助けの行為だということになる

 

道徳的というか

倫理的というか

わたくしも

ちょっと一段階レベルアップしたものだと

うれしい

 

そういえば

映画『ヒトラーのための虐殺会議』では

男を殺すのならともかく

女や子どもを殺すのは躊躇されると言った高官に

ナチス軍人が

子どもは親なしでは生きられない

銃弾を浪費するようで心苦しい点はあるが

自分の受け持ち地域では子どもも射殺している

子どもを殺すのは思いやりだ

と言っていた

 

だれかの父であったり

兄であったり

夫であったりする男を殺すなら

女や子どももいっしょに殺してやるのが

温情であり

愛だ

と言っているように

わたくしには聞こえた

 

ここまでの思いかたをするようになると

これは神だね

わたくしには思われた

 

どうせ

つかの間の物質界という夢なのだからね

仏たちも

言うことだろう

 




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