ああした遊びもみんなやってみた
ル・クレジオ 『愛する大地』
いろいろな種類のSNSを使いはじめてから
新たな玩具を手に入れた子どものように
知りあいたちにメッセージを送り続け
写真や動画さえも加えて
個人の放送局なみのニュース配信じみたことさえやってみて
はやくも数年が経った
SNSに限らず
モニターなるものを見つめることでのみ成り立つ
そうした情報のやりとりが
いつのまにか
ずいぶんと目を疲弊させることに気づき
脳も疲弊させることに気づいて
長いあいだには
これはよくないなあ
と思うようになっていた
うずうずと
どこかで
こうした端末遊びをやめるべし
という思いが高まってきていたが
今年の春夏
とうとうきっぱりと
玩具の放擲にこころは向かうことになった
SNSを毎日送り続けていた相手数十人に
とうとうきっぱりと
なにも送らなくなり
あたかも突然の絶縁をしたかのようになった
相手にSNSで
ごたごたとメッセージだの
情報だの
返信につぐ返信のさざ波だのを
送らないということは
なんといっても
相手の目を守ることであり
相手を脳疲労から守ることなのだから
なにも送らないという行為は
りっぱな人助けの行為だということになる
道徳的というか
倫理的というか
わたくしも
ちょっと一段階レベルアップしたものだと
うれしい
そういえば
映画『ヒトラーのための虐殺会議』では
男を殺すのならともかく
女や子どもを殺すのは躊躇されると言った高官に
ナチス軍人が
子どもは親なしでは生きられない
銃弾を浪費するようで心苦しい点はあるが
自分の受け持ち地域では子どもも射殺している
子どもを殺すのは思いやりだ
と言っていた
だれかの父であったり
兄であったり
夫であったりする男を殺すなら
女や子どももいっしょに殺してやるのが
温情であり
愛だ
と言っているように
わたくしには聞こえた
ここまでの思いかたをするようになると
これは神だね
と
わたくしには思われた
どうせ
つかの間の物質界という夢なのだからね
と
仏たちも
言うことだろう
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