ボルへスの散文詩
《Everything and Nothing》
『すべてと無』や
『全と無』
と訳すべきか
『ぜんぶ、そして、何もないこと』
などと
訳すべきか
神の前に立ったシェイクスピアは
自分自身でありたい
と訴える
だが
神はこう言う
わたしもまた
わたしではない
シェイクスピアよ
おまえがおまえの作品を夢見たように
わたしも世界を夢見た
わたしの夢に現われるさまざまな形象のなかに
たしかにおまえもいた
おまえはわたしと同じく
たくさんの人間でありながら
何者でもない
神
と見なされるべき神は
あらゆるものの造物主でなければならず
あらゆるものが現われる世界でなければならないから
そのなかのなにかでは
ありえない
それゆえ
神
と見なされることも
神にはない
だれにも夢みられたことのない夢
しか
シェイクスピアの顔の
背後には
存在しなかった
と
ボルヘスは
書く
何者でもないおのれのありようを
他人に気取られぬため
何者であるかのごとく振舞うすべを
シェイクスピアは身につけたのだ
とも
神もまた
それにしても
だれにも夢みられたことのない夢
とは
なんという孤絶
なんという自律
なんという不在
なんという充溢
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