2024年12月3日火曜日

キルギスタン人李白

 

 

李白は

じつはキルギスタン人だったそうで

キルギスタンが発行した記念切手を見ると

ふつうに想像してしまいがちな顔とは

異なった雰囲気が見てとれる

 

唐は広大な領土を統治していて

中央アジアの地域も含まれていたから

李白がキルギスタン人であっても

おかしくはない

 

李白の家は

隋の末期から100年近く

戦乱を避けるために中央アジアに住んでいた

富を築いた父が

故郷に帰ることにしたという

 

李白の意識のなかでは

どの言語が

軸となって動いていたのだろう?

 

7歳ぐらいの時に

李白は中原に連れ戻されたというが

テュルク系の言語も知っていたのではないか

という説がある

 

李白には息子がふたりいたが

ひとりには"poli"という幼名を付けていた

中国によくある名前ではなく

李白が住んでいたトハラ地域の山か

テュルク系言語で狼を意味する"kurt"に近いという

娘にもテュルク系言語っぽい“ayi"という幼名を付けていたそうで

これは「月」を意味した

 

テュルク系言語の中国語への流入や影響は

かなりあったらしい

 

(xiong)のことを

現在の中国語では哥(ge)というが

唐の時代にはkaと発音した

これはテュルク語だという

(jie)

もとから中国語にあった語ではなく

唐の時代に入ってきたらしい

 

(honey)を意味する中国語は蜜(mi)だが

これはトカラ語の"medu"から来ている

英語の"mead"(蜂蜜酒)と語源を同じくするという






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