李白は
じつはキルギスタン人だったそうで
キルギスタンが発行した記念切手を見ると
ふつうに想像してしまいがちな顔とは
異なった雰囲気が見てとれる
唐は広大な領土を統治していて
中央アジアの地域も含まれていたから
李白がキルギスタン人であっても
おかしくはない
李白の家は
隋の末期から100年近く
戦乱を避けるために中央アジアに住んでいた
富を築いた父が
故郷に帰ることにしたという
李白の意識のなかでは
どの言語が
軸となって動いていたのだろう?
7歳ぐらいの時に
李白は中原に連れ戻されたというが
テュルク系の言語も知っていたのではないか
という説がある
李白には息子がふたりいたが
ひとりには"poli"という幼名を付けていた
中国によくある名前ではなく
李白が住んでいたトハラ地域の山か
テュルク系言語で狼を意味する"kurt"に近いという
娘にもテュルク系言語っぽい“ayi"という幼名を付けていたそ
これは「月」を意味した
テュルク系言語の中国語への流入や影響は
かなりあったらしい
兄(xiong)のことを
現在の中国語では哥(ge)というが
唐の時代にはkaと発音した
これはテュルク語だという
姐(jie)も
もとから中国語にあった語ではなく
唐の時代に入ってきたらしい
蜜(honey)を意味する中国語は蜜(mi)だが
これはトカラ語の"medu"から来ている
英語の"mead"(蜂蜜酒)と語源を同じくするという
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