2024年7月15日月曜日

与謝野晶子の夏の歌いくつか


 

 

 

古典の短歌は

夏のほんとうに暑い頃を歌うのは避けて

せいぜいが

梅雨の入りぐらいまで

 

それも

ひとつの風流

なのかもしれない

 

ほんとうに暑い夏が歌われるのは

短歌も

近代に入ってからのこと

 

それでも

うだるような夏のことは

なかなか

すてきには歌われなかった

 

夏ならでは

の楽しみを歌う

となれば

与謝野晶子だけの

独擅場

 

 

 

が子かわれにをしへし橋納涼(すずみ)十九の夏の浪華(なにわ)風流

 

暑い暑い頃

夕方や夜の入りなど

家に居ても暑いばかりなので

橋の上に行って

川の上を流れてくる夕風で涼んだりする

若い娘たちも橋の上に集まって

川の風に当たりながら

眠くなってくるまでの時間を涼む

友だちどうし

暗くなってからのおしゃべりが

ああ

楽しいこと

 

堺に生まれ育った

浪華の娘の

与謝野晶子は

東京に出てきてから

この歌を作った

 

あんな涼み方を教えてくれたのは

だれだったかしら、

夏の浪華の

ほんと

風流な涼みかただったわ

 

東京で

故郷の浪華の

涼みかたを

つくづく

懐かしんで作っている

 

 

 

水にさく花のやうなるうすものに白き帯する浪華の子かな

 

これもまた

浪華にいた娘時代の

思い出

 

浪華の娘たちの夏のおしゃれの

まあ

瀟洒なこと

 

水に咲く花のような夏の着物を着て

そこに白い帯をする

という

ああ

浪華うつくし

 

東京に来てから作っているので

ひょっとしたら

夏の着物の着方は

東京より浪華のほうがきれいだったわよ

と言いたいのかもしれない

 

東京ふうの美意識VS関西の美意識か

いつの時代でも

東京と関西とでは

美意識において張りあってしまう

 

「水にさく花のやうなる」という形容で

浪華の勝ちと

なってしまうわな

これは

 

ちなみに

「うすもの」については

事典には

このようにある

 

《薄織の絹布の総称で、絽()、紗(しゃ)、明石(あかし)越後上布(えちごじょうふ)のような生地でつくった夏用の単衣(ひとえ)の衣類をいう。「軽羅(けいら)」「薄絹(うすぎぬ)「薄機(うすばた)」の意で、『日本書紀』にすでにみられるように、きわめて古くから衣料として用いられたらしく、『延喜式(えんぎしき)』にもしばしば現れている。下着が透けて見え、たいへん涼しげで、夏を彩る代表的な風物となっているといってよい。
 俳諧(はいかい)では夏の季語で、『ひさご』(1690年序)に「羅に日をいとはるゝ御かたち」(曲水)などとある。[宇田敏彦]》 

【日本大百科全書(ニッポニカ)】

 

 

 

「うすもの」といえば

こんな歌も

 

 

 

あざやかにうごくしののめの水のやうなるうすもの

 

うすものを着ました

と言っているだけの歌で

それより上の部分は

すべて

うすものを飾る長い修飾

 

これは

『万葉集』時代の序詞(じょことば)という技法そのものを

近代に入って再現したもの

 

「しののめ」というのは明け方のことだから

明け方の

鮮やかにさざ波が立っている池の水のようなうすものを

着たんですよ

といった意味になり

気に入ったきれいな夏向きの着物を着られた喜びを

ずいぶん素直に表現している

 

簡単にそのまま言葉を並べていっただけのように見えるが

歌を作ろうとして

やってみようとすると

これが

なかなか難しい

 

与謝野晶子のすごさというのは

なんでもないように簡単に歌っているように見えて

他の人が真似しようとすると

きまって

表現や言葉づかいがゴタゴタとしてしまう

というところ

 

どんなジャンルでも

名人というのは

いかにも簡単そうに

さっぱりと

軽々と物事を仕上げていく

必死な顔つきで

いかにも大変そうにやっていく名人など

いない

 

 

 

夏まつりよき帯むすび舞姫に似しやを思ふ日のうれしさよ

 

夏のお祭りの日

特別におめかしして

いつもより良い帯を結んでみたらしい

そうして

今日の自分の姿は舞姫に似ているかしら

鏡を見たりしている

 

もう

これだけで

うれしくなってしまっている

 

ちょっとしたことでも

いつもと違う

ほんの少しのおしゃれでうれしくなってしまう気持ちを

サッとすくい取っていて

読む人も

楽しませてくれる

 

 

 

七たりの美なる人あり簾して船は御料の蓮きりに行く

 

七人の美しい人が乗った船が

皇室の領地の池に蓮の花を切りに行く

 

「簾して」とあるから

姿はすっかり見えるわけではないものの

簾越しに見えている

 

蓮の花が咲く夏で

季語としても

蓮は夏

 

それなのに

暑さをまったく感じさせない

爽やかな雰囲気を漂わせているのは

「七たりの美なる人」

「簾」

「蓮切りに行く」

などの表現を並べたところから来る

 

船がただ通っていく光景を描写しただけのことなのに

優雅で

爽やかな感じが

よく出ている

 

特別な内容もない歌ともいえるのに

気持ちのよい雰囲気を出せてしまえるところが

言葉というものの不思議なところ

こういう言葉の特性や使い方を

与謝野晶子は

じつによく知っていた

 

 

 

うすいろを著よと申すや物焚きしかをるころものうれしき夕

 

薄色というのは

染色の名で

薄い紫色のこと

 

「色」といえば

昔は紫色のことを言った

 

そういう薄色の着物を着なさい

とおっしゃるの? 

香りを焚きこめて

着物が香っているのもうれしい

この夕方に?

 

こんなことを歌っていて

薄色を着るのだから

ちょっと畏まった席にでもいくのか

そうでなくても

気分だけでも

いつもよりちゃんとさせて過ごすのを

夫が望んでいるのか

 

なんとなく

今夕は薄色を着てもらいたい

と望まれただけの

こと

かもしれない

 

薄い紫色の着物と

そこに焚き込められた香のかおり

そして

夕べの様子が

読者の頭に広がることだけに

焦点をあてて作られている

 

夏の歌と限って考える必要はないが

薄い紫色が夏の夕べには似合っているのではないか

と思う

 

 

「薄色」について

また

辞典で調べておくのも

楽しい

 

色のちから

言葉のちから

 

「色名の一つ。浅紫(うすむらさき)ともいう。薄く、ややくすんだ紫色のこと。平安時代には紫系統の色が好まれ、最高位は深紫(こきむらさき)であった。薄色はそれに次ぐ序列の色。8世紀に施行された養老令の規定では、朝廷への出仕に着用する朝服(ちょうふく)の二位、三位の色とされる。一位の色が深紫。基本的に染色の色をさすが、縦糸を紫、横糸を白で織った織り色をいう場合もある。また、襲(かさね)の色目(いろめ)の名でもあり、表が薄い紫、裏は表より少し濃いめの薄紫、または白のこと。」 

(『色名がわかる辞典』)

 

「平安時代以降公家(くげ)の染織では、紫色の薄い色に限って、『薄色』と呼んだ。織色(織物の経糸[たていと]と緯糸[よこい]の色の組合せ)で表す襲(かさね)色目では、経が紫、緯が白。衣服の表地と裏地の襲ね色目では、表が薄色、裏が薄色または白の組合せであった。『枕草子』に「女の表着(わぎ)は、薄色、葡萄(えび)染、萌黄(もえぎ)、桜、紅梅」、『源氏物語』(若菜下)には「童(わら)べはかたちすぐれたる四人赤色に桜の汗衫(かざみ)、薄色の織物の衵(あこめ)浮文のうへの袴(はかま)」とある。ただし、紅(くれない)色の薄い色も「薄色」とする説もある。」

 (『日本大百科全書ニッポニカ』)

 





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