江戸時代の儒者
野田逸は
夏のこんな漢詩を作っている
昌平橋納涼
夏雲擘絮月斜明
細葛含風歩歩軽
数點篝燈橋外市
籠蟲一擔賣秋聲
(夏雲絮を擘きて月斜明
細葛風含んで歩歩軽し
数點の篝燈橋外の市
籠蟲一擔秋聲を賣る)
夏のちぎれ雲は
綿を裂いたようで
洩れ落ちる月のひかりが
あかるく
斜めに
射してきている
羽織っている
葛の布で作ったかたびらには
風が通って
歩みも軽くここちよい
昌平橋のあたり
夜の市には
点々と篝火が灯され
虫の籠を吊した屋台は
おやおや
もう
秋の声を売っているよ
篝火を灯した
夕暮れから夜の市の光景が
この詩からは仄見え
情緒を誘う
籠に鈴虫などを入れて売るさまを
「籠蟲」と言うのも
漢詩ならではの味わいで
さらに
「秋聲を賣る」とは
現代日本語では不可能な
見事な表現
儒者の野田逸は
講義のためや
儒者どうしの語らいのために
もちろん
夏でも
湯島聖堂に
通ったはずだろう
どう神田川を渡って
湯島聖堂に行くか
江戸名所図会を見ると
今の聖橋は
江戸時代にはない
聖橋は
昭和2年(1927年)に作られたもので
湯島聖堂とニコライ堂を結ぶので
「聖」橋と名づけられたらしい
となると
もっと秋葉原寄りの
昌平橋を渡っていくということになる
昌平という名は
孔子の故郷の中国山東省曲阜の
昌平郷から付けられた
孔子廟として湯島聖堂を建立した際
昌平橋という名も
昌平坂とともに
徳川綱吉が命名したらしい
野田逸は
字を子明
号を笛浦と称し
丹波の人だった
江戸に出て古賀精里に学び
田辺藩の儒臣となり
当時の漢文の四大家のひとりだった
四大家とは
斉藤拙堂
篠崎小竹
坂井虎山
野田笛浦である
丹波田辺藩は
江戸城では
白書院と黒書院の間に位置する
雁間に詰めていたらしい
城主格以上で
10万石以下の譜代大名と高家が着座する間で
雁間詰の大名は詰衆とよばれ
多くが幕政に参画し
この大名たちから
老中も選ばれた
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