2024年8月6日火曜日

九夏

 

 


ながく伸びた竹が

すこし撓ったり

葉が垂れさがったりして

作ってくれている

みどりの蔭

 

そこに坐っていると

夏のひどい蒸し暑さに

さいなまれても

なんのその

 

むかし

王子猷は

竹を此君(しくん)と呼び

愛でたというが

なるほど

竹よ

此君は

ここでも

涼風の手など借りて

陶淵明が持っていたという

あの無絃琴を

弾いてくれたりする

 

陶淵明は

琴が弾けなかったそうだが

いつも絃のない琴板を持っていて

酒を飲んだりすると

琴を撫で

弾くまねをして

音なき響きを

こころゆくまで楽しんだ

という*

 

 

長々しく

王子猷や陶淵明の説明も

ちょっと織り交ぜて

九夏ならではの

脩竹の蔭の涼しさを書いてみたが

これは

もちろん

源光圀の漢詩

「脩竹不受暑得琴字」の

訳というか

翻案というか

 

原詩は

このように

さっぱりとしている

 

       脩竹不受暑得琴字

 源光圀(西山)

 

脩竹垂垂坐翠蔭

不知九夏将蒸侵

此君借取涼風手

彈得無絃靖節琴

 

現代日本語と

昔の中国のあれこれの故事をほとんど忘れてしまった

現代の日本の教養のありかたの

ああ

なんと情けないこと!

 

 

王子猷の話は

清少納言が『枕草子』に引いてからは

日本でも歌に詠まれたりした

藤原公能に

 

このきみといふ名もしるくくれ竹の世々へんまでもたのみてをみん

 

という歌もある

 

 

他方

陶淵明の無絃琴の話は

与謝蕪村も好み

夏目漱石も愛した

 

芥川龍之介が漱石山房を訪ねた際

「無絃琴」の書が掲げられているのを見ているが

これは1914年に漱石が入手した

名筆家明月上人の書で

縦41㎝×横幅84㎝の大きなものである

 

明月上人は

18世紀の浄土真宗の僧で

松山市円光寺の7代目住職となった

詩文に長じたが書道にも長じ

唐代草書の大家の懐素を学んで

特に草書を得意とした

越後の良寛

備中の寂厳とあわせて

幕末の緇流の三名筆とされた

 

 

みずから

書家でもあった漱石は

陶淵明由来の「無絃琴」という言葉とともに

明月上人の書にも

つよく感じるところがあっただろう

 

もちろん

『菜根譚』にある

 

人解讀字書、不解讀無字書。

知彈絃琴、不知彈無絃琴。

以迹用、不以神用、何以得琴書之趣。

 

(人は有字の書を読むを解して、無字の書を読むを解せず。

有絃の琴を弾ずるを知りて、無絃の琴を弾ずるを知らず。

迹を以て用いて、神を以て用いず、何を以てか琴書の趣を得ん。)

 

という章も

漱石は

知っていただろう

 

人は文字で書かれた書物は読み解くが、

文字なき書物は読み解かない。

有絃の琴を弾くことはできるが、

無絃の琴を弾くことはできない。

形となった跡だけに頼り、精神を用いようとしないで、

どうして琴書の趣をつかむことができよう。

 

ほぼ

このような意味である

 

 

 

 

 

*性不解音、而蓄素琴一張、弦徽不具、毎朋酒之會、則撫而和之、曰「但識琴中趣、何労弦上聲」

『晋書』「陶潜伝」

 






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