2024年9月2日月曜日

にぎわう都市のこの正体を

 

 

 

見あげる空は 酸っぱい雨が

人間はあふれて 逃げ場もないさ

銃声のする ニュースを消して

見てくれの恋 身を埋めても

一夜で冷める 体の方が

みじめな傷を 感じるだろう
あやうく生きる 俺たちがいて
            
吉田拓郎 『この国JAPAN

 

 

 

 

長い雨や湿り気は人間を腐らせる

少なくとも萎えさせる

 

ましてや

社会のすみずみに

ミクロに

あるいは十分マクロに

嘘や不正や

怠惰や

不公平が蔓延り

政府ときたら

何十年も

売国的な党派や

その裏で糸を引くカルト宗教や

さらにその裏で

ピラトを操ったローマのような拝金帝国が

みごとに正確に動いて

この列島から富を収奪し続け

かわりに

というか同時に

少しでも悪いものを食わせ

資源を破壊しようとし

出生率を低下させるとともに

死亡率を上げ

世界観を形成するための情報としては

拝金帝国経由の

歪みに歪んだものしか流布させないように

繊細かつ周到に仕組まれている

よにも稀なほど完成された人工環境にあっては

 

それでも

数十年だけ生きればいい

という人生枠を持つという前提でならば

人はまだ

希望や夢や期待のようなものを

持てるのだろうか?

子どもや孫は

じぶんたちの世代以上に多量の添加物やホルモン剤や

開発進化のやまないMRNAワクチンを打たれて

成長とともに確実に精子や卵巣は破壊されるばかりか

血管中にひそかに増殖する血栓によって

ふいの脳梗塞や心筋炎や臓器不全に襲われて

突然死を遂げる運命を負わされても?

 

そろそろ

しっかりと独立しなくてはいけない

精神的にも経済的にも軍事的にも

と威勢のよいことを言う人たちも少なくなく

街角で拡声器越しにしゃべったり

ハイド・パークのスピーカーズ・コーナーよろしく

YouTubeをあれやこれやの演説で溢れさせるものの

わたしの目にはなにを今さらで

政界ばかりか司法から検察からマスコミの細部まで

CIAの犬たちによって占められ尽くし

スノーデンの語ったところでは

原発も含めたあらゆる発電所や給水所や貯水池や

大病院や政府機関や行政の津々浦々にまで

破壊装置を設置されてしまっているばかりか

自衛隊が拝金帝国から買わされた大型兵器の数々には

拝金帝国軍だけが解錠できるカギが付けられていて

自分勝手に使用などできない状況下にある以上

万が一の拝金帝国の破産や崩壊がないかぎり

この列島に独立の機が訪れることなど断じてあり得ない

とあまりに明白に確実に見えてしまう

 

となれば

間接的ながらも望むべきは

拝金帝国ファースト主義を瓦解してくれる

表面的リベラル夢想大衆が勢いを持ってくれて

拝金帝国のこれまでのシステムの根幹を腐敗させてくれることで

これぞまさにジョージ・ソロスが企んできたこと

敵の敵は味方とも友とも言うが

これはまたヒョンなところでお友だちになれそうな!

と驚くばかりの『ハリスの旋風』

https://www.youtube.com/watch?v=XqNFVAdGE-s

 

とはいえ

わたしはと言えば

これからこの列島に起こるのは次のようなことのみと思える

大地震だのその他の大自然災害だの

控えめ志向の従来の日本人型対人関係作法を踏み潰す

自己主張度の高い移民による文化破壊と

電子機器使用だのITだのAIだのの偏重から来る

身体的空間的人間関係の極小化による精神変容と疾患の多発と

これまでの中間層から極限まで税を取り立て

組織員の枠からはみ出せないように囲い込みして

ただ税を生産して数十年して死んでいく経済家畜化

緑濃き深遠なる自然霊たちの山河は

拝金帝国や現代始皇帝帝国に虫食いのように買われ

大地はソーラーパネルで覆われ尽くし

清きミネラル豊富な自然水源も買い尽くされ

いずれは空気さえも権利を買い取られて

誰もが空気税を買わねばならなくなり

打たれたり粉末で吸収させられたりした遺伝子改変ワクチンのせい

いつのまにか肉体は製薬会社の商品とされて

肉体使用税まで課せられるようになり

そうした肉体に宿る精神ももちろん製薬会社の所有となって

精神税も課せられるに到るだろう

 

シナイ山の下でお祭り騒ぎをする民のように

オータニのひと打ちひと走りに陶酔し

次々と若い男の子女の子を電波に乗っけて歌わせたり

踊らせたりおちゃけさせたりファッションさせたり

何十年このかた変わらずに

ビールの宣伝だの自動車の宣伝だの

マンションだの高級住宅だの生命保険だの最後には死亡保険だの

それなら閻魔様に渡す袖の下貯金も作ったらいいのに

とさえ思わされてしまうノーテンキぶり

 

わたしひとりは

吉田拓郎が『落陽』で歌ったように

 

この国ときたら

賭けるものなどないさ

 

などと呟きながら

すべては終わってしまっている

すべてはどうにもならなくなっている

民の夢や希望や計画など

この国の外で

他国や他民族に頼って搾取されつつ雇われ技師としてお仕えする時以外

実現しようもない漂泊状態にすでにあって

それも格別の能力のある人間にのみ許されたことで

たいていの多くの民には

エゼキエル書が説いたようなことしか起こらないだろう

と思える

 

主なる神はこう言われる

災いに続く災いが来る

終わりが来る 終わりが来る

終わりの時がおまえのために熟す

今や見よ その時が来る

この地に住む者よ おまえの順番が来た

時は来た その日は近い

それは大混乱の日で 山々には喜びの声が絶える

今や わたしはお前に向かって憤りを注ぎ

お前に対して わが怒りを注ぎ尽くす

わたしは お前の行いに従って裁き

忌まわしいすべてのことをお前に報いる

わたしは慈しみの目を注がず

憐れみをかけることもしない

お前の行いに応じてわたしは報いる

お前の忌まわしいことはお前の中にとどまる

そのとき お前は知るようになる

わたしが お前たちを打つ主であることを

 

(エゼキエル書 7.5-9

 

 

そういえば

さっき一節を思い出してみた

吉田拓郎も

エゼキエルに負けてなどいなかった

『この国JAPAN』など

どうだ

悲愴で悲劇的で絶望の極み的ながら

軽く

どこまでも

いつも

浮薄なJAPAN

なんとよく

捉えていること

https://www.youtube.com/watch?v=nRaBUMOcgsU

 

 

にぎわう都市の この正体を

アダムとイヴよ 知っているのか

 

酔いどれ倒れ アスファルトの床
耳をつければ 聴こえてくるさ

高圧線の大動脈と 通信回路の静脈の音

科学の糸に あやつりつられ
悪魔の斧に 震えて眠る

あやうく生きる 俺たちがいて

この国はJAPAN
瞳の中のJAPAN

それでも 笑う者たちがいて
この国はJAPAN

風にあずけても 星が流れても
風にあずけても 星が流れても

何をむさぼり いくら着飾り

アダムとイヴよ 満たされるのか

見あげる空は 酸っぱい雨が
人間はあふれて 逃げ場もないさ

銃声のする ニュースを消して

見てくれの恋 身を埋めても

一夜で冷める 体の方が

みじめな傷を 感じるだろう
あやうく生きる 俺たちがいて

この国はJAPAN
瞳の中のJAPAN

それでも 笑う者たちがいて
この国はJAPAN

夢が途切れても 季節無くしても

ゆうべ倒れても 明日目覚めても

風にあずけても 星が流れても
風にあずけても 星が流れても

 

 

もっとも

わたしとしては

吉田拓郎のように『この国JAPAN』などと歌う必要は

もうまったくないと思っている

彼が歌った頃は

まだ心のどこかに

JAPANはあるし終わっていないし

これから良くなりもするだろう

などとお花畑していたのではないかと思うが

今となっては

そんなお花畑もモンサントされ切って

次の年には発芽しない種よろしく

だれの心もつかのま発芽するだけの脆弱な芽でしかなく

どこのホームセンターでも買えて

大樹も根こそぎ枯らす枯葉剤さながらの陰湿な猛毒に

政府や組織や慣習や固定観念ばかりでなく

ひとりひとりの国民が成り切ってしまっていて

懐かしのサルトル『出口なし』ではないが

四方八方のどっちにももはや逃げ道はなく万事休す

鶴屋南北にでも復活してもらって

大悪党でも劇の最後で生きたまま逃がす手口を甦らせて

とりあえず今日はこれきり

などと叫ばせでもするほかない

 

 

ほんとに

ほんとに

もうこれっぽっちも

「この国JAPAN」には寄り添えないし

慰めてもやれないし

どこにも共感できないし

同じように喜怒哀楽もできないし

大量生産され続けるブンカテキとか呼ばれる玩具のどれも

ぜ~んぜん面白く感じられないし

完全に飽きちゃって

ど~でもいいとしか思えないどころか

シャカシャカ

ザンザカ

あ~うるさい

としか受けとめられない

 

 

たぶん

ルソーが『孤独な散歩者の夢想』で書いたように

こんなふうに呟くのこそ

ふさわしい

 

「私には、もう、地上のすべては終わり。

いいことであれ悪いことであれ、

もう誰もわたしに仕向けてくることはできない。

この世では、もう、私には

希望すべきことも恐れるべきこともない。

あわれな死すべき不幸な者として、

しかし、神のように平然と冷ややかに無感動に、

奈落の底で安んじているのだ」

 

Tout est fini pour moi sur la terre.

On ne peut plus m’y faire ni bien ni mal.

  Il ne me reste plus rien à espérer

ni à craindre en ce monde,

& m’y voilà tranquille au fond de l’abyme,

pauvre mortel infortuné,

mais impassible comme Dieu même.

 

 Jean-Jacques Rousseau

 《Les Rêveries du promeneur solitaire

 

 

 





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