2021年10月9日土曜日

私を愛すること


 

フランソワーズ・サガンの

こんな一節を

写真に撮り

Twitterに載せているフランス女性がいた

 

私にはわかっている

やり残していることはなにか

私自身に夢中になること

身だしなみに気を配ること

日焼けすること

筋肉をひとつひとつ作り直すこと

ちゃんとした装いをすること

活力を無限に蓄えること

私自身にプレゼントすること

不安げな微笑みは

鏡の中に捨て去ること

私を愛すること

 

ちょうど

『ある微笑』のポッシュ版を

読み直していたので

これには

ちょっと立ち止まった

 

むかし

サガンを馬鹿にしていた

女性向きの

通俗小説と思っていた

 

小難しいものばかり読んでいた

20代の頃

午後の電車に乗ると

ずいぶん年上の女性が

ポッシュ版で

なにか

フランス語のものを読んでいた

聞くと

サガンだった

好きだ

言っていた

 

私にはわかっている

やり残していることはなにか

 

通俗小説ではないと

今は

わかる

 

私自身に夢中になること

身だしなみに気を配ること

日焼けすること

筋肉をひとつひとつ作り直すこと

ちゃんとした装いをすること

活力を無限に蓄えること

私自身にプレゼントすること

不安げな微笑みは

鏡の中に捨て去ること

私を愛すること




「時よ、来い。ああ、陶酔の時よ、来い」


 

これまでの一般的なワクチンは認めても、効果も危険度もわからない今回のコロナワクチンの接種に反対している医師がtwitterに書いている。

 

「接種後半年程経過する医療者の皆様、明日は我が身ですね。

感染予防が無いどころか、むしろ接種者の方が重症化していますよね?

抗原原罪かADEか分からないですが、マズイですよ。

良いんですか? こんなもの勧めて?

3回目早くうちましょうね。他人に勧めるのなら。」

 

いつも丁寧な書きぶりの医師だが、渾身の皮肉であり警告なのだろう。

ワクチン接種する場合にも、静脈へのワクチン流入を避けるために逆血確認を執拗にtwitterで勧めてきた医師である。

 

平然と危険な薬剤接種を勧めたり、接種し続けてきた医療者たちが、いよいよワクチンによる身体破壊が猛然と始まる(のらしい)5月目、6ヶ月目に至って、バタバタと重篤状態に陥ったり、死に始める事態を、わたくしは嬉々として待っている。一定の、というより、最後の薄紙一枚での、報復的心理における残虐性の炸裂を抑えるために、「待ち望んでいる」とは書かないでおく。

そう、

書いてはいないからな、

「望んでいる」とは。

人は「待つ」だけなら、いろいろなものを待つ。

ゴドーを待ったり、シモーヌ・ヴェイユならば神を待ったり。

(自由詩形式使用においては、ふいに乱暴な言い方を挿入したり、感情的な言辞を弄したり、錯乱を装ったりするのがランボーの『地獄の季節』『イリュミナスイヨン』以来の作法なので、わたくしは此処でそれに従ってみている。それだけ。自由詩形式使用においても、いろいろな所作がある。PCR検査のように。ワクチンの機序を[そんなオタク分野のことなど当たり前のことだが…]よく弁えぬ一般人を、ろくな専門家でもない感染症研究者や免疫学者やウイルス学者や、それらでさえないソンジョソコラの医師が愚弄するように。)

 

医療者たちに、今回のワクチンの効能や危険度についての専門家はほとんどいなかった。にもかかわらず、平然と人に接種を勧めてきている。

他方、世界中で、今回のワクチンが常軌を逸した危険なものであることが糾弾されている。それらの声はさまざまなSNSやメディアで発信され続けているが、大メディアは取り上げず、GAFA系は削除や否定に躍起になっている。「ファクトチェック」なる、多くはワクチン製造者側による言論弾圧が行われている。

 

ほぼ80%から90%ほどの医療者たちは、表向き、早いうちにワクチンを接種したことになっている。

(もちろん、医療者の行為や自己表明など端から信じてはいないものの…)

しかるに、当初から世界中の有意の医師や学者によって警告されていたそのワクチンの強毒性は、今ではいっそう声高に叫ばれている。

進んで、怪しい高利回りの裏金融詐欺に引っかかるがごとき、無用心にして愚昧なる接種者たる医療者諸君は、接種してすぐの副反応で残念ながら急死しなかったとしても、5月目、6ヶ月目での突然の重篤化の危機、それを乗り越えても、2年後や3年後の急死の危機、どう生きのびても5年後には誰ひとり生きてはいないという予測が彼らを待っている。

 

わたくしとしては、2年後や3年後では少し間延びしてしまうので5ヶ月目、6ヶ月目での大量死や大量重篤化を待ちたい。

「待ってる、待ってる、待ってるさ」とは、ランボー。

小林秀雄訳だったか。

 

ヒポクラテスの誓いを無視して、危険なものを平然と一般人に勧めた罪は未来永劫の万死に値する。

 

先に引いた文を書いた医師が、さらにこう書いている。

 

mRNAワクチンという原罪を背負った人々は、自然感染による免疫から追放された。

罰として、感染予防期間の寿命を与えられ、二度と自然感染による免疫には戻れない。

医者は無知であったアダムか、接種するように勧めたヘビか。

知恵の結晶を半年毎に接種し続けるしか無いのだろうか。」

 

ふたたび、ランボー。

「時よ、来い。ああ、陶酔の時よ、来い」

これも小林秀雄訳だったか。

原文なら

Qu'il vienne, qu'il vienne, Le temps dont on s'éprenne. 

 

検査不徹底なワクチンを平然と勧めた医療者たちの大量死や大量重篤化よ、

来い!

もし殆どが体調良好であり続けるのならば、それはそれでよい証明。

後で行われた動物実験ではぜんぶが死んだと言われてもいるが、

人間だったら大丈夫だったとわかれば、それはそれでよい証明。

 

「時よ、来い。ああ、陶酔の時よ、来い」




2021年10月6日水曜日

あんな糞ゴミ醜悪淫猥大量コンドーム配布大会のために


 

北の丸公園に作られ

張り巡らされていた壁や柵などが

ようやく取り除かれた

ムーミンを四角にしたような醜いプレハブが

まだ芝生の広場の上に残っているが

それも取り除かれるだろうか

ふつうなら子どもたちが日中は駆けまわって

都内の有数の寛ぎ場所になる

いちめん緑の芝生の広場の上の

あの巨大こんにゃくのような

巨大ヌリカベの横たわったようでもある

空調の音をゴトゴト立て続けのプレハブは

 

張り巡らされていた壁や柵は

誰もが嫌いな

誰もがこの世から消滅してくれと願っている

誰もが欧米富裕層の小遣い稼ぎ大会だと知っている

馬鹿とフェイクとゴマカシと儲け主義のごった煮に過ぎない

愚の愚の愚の愚の精神的糞尿盛り付け大会で

糞ゴミ醜悪淫猥大量コンドーム配布大会でしかない

あの「オリンピック」とかいうものの「ため」のものだったようで

丸々二年間というもの

公園のあちこちの風景を破壊して

散歩の小道をいたるところで断ち切り

植物の上に平然と覆い被さって

せっかくの名園というのに

殲滅収容所のようにされてしまっていた

 

となりの武道館での競技の「ため」なのか

そこの「警備」のためなのか

機材や用具置き場にするのなら一時的には仕方がないかと

はじめのうちは思いもしたが

あきらかに規模が大きすぎる物々しい閉鎖度となって

これはちょっとおかしすぎると

昨年から観察し続けていた

壁や柵のあちこちに監視カメラがたくさん付けられ

オリンピックやパラリンピックの「ため」というより

もっと他の軍事的な設置工事の「ため」ではないか

ウォーキングを端っこで細々続けながら

そう思いつつ観察を続けた

 

オリンピックには何年も前から反対だったうえ

民草がこぞって恐怖におののく大疫病?とやらの流行の最中に

競技場ばかりは問題ナシと見せつけんばかりに開催されて

誰のどんなアタマでもちょっとでも考えれば

馬鹿とフェイクとゴマカシと儲け主義のごった煮に過ぎない

愚の愚の愚の愚の精神的糞尿盛り付け大会だったわけだが

ともかくあの糞ゴミ醜悪淫猥大量コンドーム配布大会が

ようやくようやく盛り下がりに盛り下がって

誰の記憶にも残らないかたちで忘却の河に流されていってくれて

ああ、よかった!なのである

あんな糞ゴミ醜悪淫猥大量コンドーム配布大会のために

失われた北の丸公園の静寂や日々の散策の喜びや

四季折々の陽の移ろいや木々や草の葉のざわめきや

吹きわたるそよ風がようやく戻ってきて

ああ!よかった!なのである




まぶしい

 


                  いかなる個物も、より長い時間それが執拗に

                     存在しつづけたからといって、より完全である

                     ということはできない。ものの持続は、そのものの

                      本質からは決定されえないからである。

                  スピノザ『エチカ』Ⅳ序文

 

 

 

子どもではないのに

なにも確かにわかっていないのを

いつも

ほんわりと感じる

ぼんわりと感じる

 

だから

断言なんかできなくて

こうも言えるし

ああも言えるんじゃないか

いつも

ふらふらしている

らふらふしている

 

じぶんより

はるかに年下のひとたちが

ずいぶん断言するし

人生はこうでないといけないとか

すごいことも言うので

ひょえ~って

おののいてしまう

のののいてしまう

 

ぼくの場合

どこまで行っても

考え方なんか

すべて

外からの借りもの

 

もちろん

言葉も借りもの

日本語なら

だいたいわかる気でいるが

けっこう

アヤシイ時がある

 

感覚だの

心に受ける印象だの

そんなものしか

じぶんのものはないかもな

と思うが

それらだって

かなり

アヤシイ

 

感覚や印象をズバズバ言うひとたちが

いつも

いつまでも

まぶしい

 

昔もいっぱい

いたなあ

あんなひとたち

 

トタンになにか

ひかりが反射したみたいに

まぶしい

 

みんな

いつのまにか

いなくなっちゃうんだけど

いつのまにか

その次の同類に取って代わられるんだけど

まぶしい

 

その一瞬だけ

まぶしい







2021年10月2日土曜日

ふいにいなくなってしまう

 


        主体は世界に属さない。

            ウィトゲンシュタイン  




わたしはtwitterの愛読者で

日々読み飛ばしていく記事の量は厖大なものといってよい。

東日本大震災後に自然災害や原発災害情報の収集用に

Twitterは始めた。

そのうち国際問題なども追い始めて

メールアドレスをたくさん持っていたものだから

それを使ってアカウントを十いくつも作った。

だいたいのテーマ別にしてあったのが

フォローを増やしていくうちに

どれもこれもヘンに膨れ上がって

当初のテーマの輪郭がわからなくなってしまっている。

フォローというのも

わたしの場合は自分と似通った主義主張の人を追うつもりもなく

不愉快な書き方をする者を面白がってフォローしたり

理屈の通らない馬鹿な書き方をする者をフォローしたり

時代錯誤の右翼風情もフォローすれば

正義ぶってその実馬鹿丸出しの社会主義者ふうもフォローする。

ようするに誰も彼もを馬鹿にしているのだが

おかげで自前の赤新聞がいくつもできたわけだ。

昔よく見ていた『噂の真相』や『現代の眼』や

『諸君!』や『朝日ジャーナル』などを合わせたような小記事群を

手に乗るスマホ端末で無限に見られるのだから

世間を垣間見るには悪くない。

もちろんこれで「世間」が見えたと思っていたら

それも陥穽に落ちたことになるので

なにかというと「見えた」気になる驕りにも注意してはいる。

 

Facebookというのもひと頃はけっこう見たり

写真を出してみたりしたものだったが

わたしが出すものをたしかに見ていてくれた知りあいが

けっこう死に絶えてしまったり

離れてしまったりして

もうなにかを見せるべき相手がFacebookには関わってはいない。

開くと知りあいの記事が流れていったりはするが

なんというべきか

そうした記事から垣間見える知りあいたちが

どうしようもなく老いて古びてしまったように見え

この数年は彼らの名を見るとわざと読まないようにしている。

若者たちがFacebookを嫌うのもわかる気がする。

オヤジ臭いというか老人臭いというか

どうでもいいことについてどうでもいいことを書いている。

どうでもいいことをどうでもよく書いてもいいのだが

Facebookに書いて流してしまうというところに救いのなさがある。

どう転んでもあそこは社会ネタを流す場所なので

どうでもいい個人の生活ネタは流さないでほしいと思う。

社会ネタを探している方としてはそういう個人ネタは邪魔なだけなのだ。

 

個人ネタといっても

驚くほど見事に完結に言葉を選んで

詩でもないのに詩を凌駕した文言を記すような人もいた。

その人が選んできたり

自分で撮ってきた写真にそうした言葉を添えて

高級な雑誌の言葉数の少ない優雅なページのようにする人たち。

十年前から七年前くらいには

そんな人たちが何人かいて

毎日その人たちのページを見るのが楽しかったし

SNSという場の高雅な使い方の模範を見せられるようで

いろいろと学ばされもした。


しかし

そういう人たちは

ある時

ふいにいなくなってしまう。

Facebookからアカウント停止をくらったわけでもないのに

ふいに消えていく。

何人かは

これで終了します

と言い残してFacebookを去って行った。


フォローしていた人たちとの問題が生じた場合もあったらしいが

安易でない

軽薄でない

しっとりと美しい

ハッとするような気づきのある写真を毎回選んで

そこに

けっこう渾身の短文を添えて

出し続けていくことに

きっと

疲れたのだろう

と思いやられる場合もあった。


SNSが最も危険に作用するのは

自己のこだわりと美意識と公開性と継続が絡みあって

内奥の意識のエネルギーを

はてしなく吸い込み続ける回路に入った場合なのである。






2021年10月1日金曜日

霊能者たちの言うには


 

ウイルスだの

ワクチンだのに右往左往しているあいだに

ほんとうの天変地異が

まもなく

はじまろうとしている

 

霊能者たちの言うには

 

霊能者たちの言うには

 

奇妙なことは

十月十三日頃からはじまる

説明のつかない自然現象だけでなく

人間のあいだでも

異様な事件などが起こってくる

気のせいだとか

なにか

解明されていない理由があるのだろうとか

そう思ってやり過ごそうにも

どうにも不気味だと

思いはじめる

 

そして 二十一日後以降

四国

東海

関東

 

四国

東海

関東

 

そして 二十一日後以降

海抜三十メートルでも

場所によっては

避けられない

 

人は流れ

車は流れ

家は流れ

低めのビルさえ流れ

 

個人個人の

あらゆる計画 夢 希望

消え

物質的な記録 データー 資料

すべて

流され

焼失し

破損されるので

人の意識の中の記憶しか

残らない

 

そして 二十一日後以降

 

日本は停止する

おそらく

十年は

 

霊能者たちの言うには

 

霊能者たちの言うには

 

もっとも不幸な国と

世界が哀れむ事態に陥る

 

今後の十年

それが逆に

最大の魔除けにもなるが

そのことは

十年後でないと

わかってこないだろう

 

霊能者たちの言うには

 

霊能者たちの言うには





こんな秋の台風の少しさびしい涼しい雨は


 

台風が来ているようで

雨が降り続いている

激しくなったり

小雨になったり

湿度は上がっているが

秋の台風で

気温も下がって

秋雨のように見える

 

秋の台風の

涼しい雨も悪くない

過去の多くの時間にじかに繋がる

敏感な配電盤のようだ

こんな雨に

代々木公園で見舞われたこともあったし

伊豆のどこかで降られたこともあった

嵯峨野をひとり歩いている時も

なんどかあったが

あの場所では雪の場合もあったか

パリから郊外に向かう時にも

こんな雨に難儀したことがあった

 

あらゆる瞬間は

あらゆる過去に繋がる配電盤なのだと

また

確認し直させられる

そんな雨

 

瞬間瞬間を

鋭敏な配電盤にし得るのは

厖大な経験と

きびきび生き続ける記憶力と

記憶の間を縦横無尽に繋ぎ続ける

精神の力

体力

そしてたぶん

なによりも

神経の若々しさ

 

そう

その神経の若々しさを

維持するのに

蘇らせるに

こんな秋の台風の

少しさびしい涼しい雨は

よいような気がする