7月30日は
立原道造の誕生日であった
今年
この日は暑い日で
暑い日にもかかわらず
ちょっとした
中途半端な田舎を
炎天下を
野暮用のために
わたしは行き来して
ずいぶん
汗を流した
ゆたかに繁る雑草たちを見
アスファルトに降りて
人など小馬鹿にしたように
逃げもせず
ぽんぽん飛んで歩く
カラスを横目に睨みながら
いかにも
立原道造の誕生日らしからぬ
どろっとした
中途半端な暑さの日だ
と思ったりしたが
空は美しく青く
夏雲は白く輝いていた
立原道造が日本橋の橘町に生まれたのは
1914年だから
もう112年も前のこと
死んだのが
24歳のとき
1939年だから
87年前に逝っちゃった人
けれども
あなたはぼくにとって
あこがれちゃう
唯一の
日本語の
奇跡的な使い方の
できた詩人で
ほわーっとしていながら
すわ~っとしている
あなたの不思議な詩の高みに
とても行き着けないまま
ぼくは日本語のなかを
ま~だ
さまよって
いる
ん
ですよ
近ごろは
あなたの名を
すごい
すごい
すごい
と語る若者も稀で
あなたのあれらの詩は
どれも
なによりも
大事件なのに
新聞紙の一面を飾ったりは
もちろん
しない
なので
ときどき
ぼくは
じぶんの意識の第一面に
あなたの詩の
ソネット形式の
とびっきりお気に入りのやつを
大見出しで
あるいは
豆粒みたいな
ちっちゃい字体で
蘇らせる
のちのおもひに
夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を
うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
――そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……
夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには
夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
はじめてのものに
ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり
灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた
その夜 月は明かつたが 私はひとと
窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ声が溢れてゐた
――人の心を知ることは……人の心とは……
私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた
いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
その夜習つたエリーザベトの物語を織つた
またある夜に
私らはたたずむであらう 霧のなかに
霧は山の沖にながれ 月のおもを
投箭のやうにかすめ 私らをつつむであらう
灰の帷のやうに
私らは別れるであらう 知ることもなしに
知られることもなく あの出会つた
雲のやうに 私らは忘れるであらう
水脈のやうに
その道は銀の道 私らは行くであらう
ひとりはなれ……(ひとりはひとりを
夕ぐれになぜ待つことをおぼえたか)
私らは二たび逢はぬであらう 昔おもふ
月のかがみはあのよるをうつしてゐると
私らはただそれをくりかへすであらう
晩き日の夕べに
大きな大きなめぐりが用意されてゐるが
だれにもそれとは気づかれない
空にも 雲にも うつろふ花らにも
もう心はひかれ誘はれなくなつた
夕やみの淡い色に身を沈めても
それがこころよさとはもう言はない
啼いてすぎる小鳥の一日も
とほい物語と唄を教へるばかり
しるべもなくて来た道に
道のほとりに なにをならつて
私らは立ちつくすのであらう
私らの夢はどこにめぐるのであらう
ひそかに しかしいたいたしく
その日も あの日も賢いしづかさに?
ほんとうに
ぼくらの
わたしらの夢は
どこに
めぐるのであろう?
と思いながら
知ることもなしに
別れるであろう
大きな大きなめぐりが
用意されている
とは感じつつも
ふたたびは
逢わぬであろう
とも知りつつ
その先にはもう行かない
夢と
しばらくはなって
忘れつくしたことさえ
忘れてしまつた時に
ああ
あなたが
習つて
夢に織ったエリーザベトの物語とは
どんな
物語だったか?
いたいたしく
賢いしずかさの
ただ
夕やみの
淡い色に身を沈めて
くり返すばかりの
遠い
物語であったか?