浜辺には
もう
なにも寄せてこなくなった
くりかえし
波ばかりは寄せるが
宝とは
感じられない
遠くに
船も見えない日
それでも
水平線に目をこらし
ぼくらはなにを待ったのだろう
うつくしい貝がらの
ひとつ
ふたつ
握りしめて
砂だけはしっかり
足あとをとどめてくれるかと
あさく信じて
風はかわりつづけ
ときには止み
日はめぐる
らせんのかたちの
大きな装置のように
わずかな違いを
ひそやかに
あからさまに
刻みながら
そうして
捨てられていく
ぼくら
なによりも
ぼくら自身の舟
とりかえしのつかぬ
この肉体によって
ここに湧く
こころの霧の
うつろいによっても
ひとつの波の
ようでもあったぼくらか
平らだった水面が
もりあがり
さらにもりあがり
極まったと見るまに
くずれ出して
ふたたび平らになっていく
天のみえない爪に
抉りとられるように
ふかくおそろしい底が
口をあけさえする
どうして波に生まれ
どうして消えていくのか
寄せつづけるこれら
ひとつひとつの波は知らず
ぼくらも知らない
くずれて
くずれきって
レース織りのように浜に寄せ
ぷつぷつと泡だって
失せる
くりかえし寄せる
繊細なこれら
やさしい
やわらかな死を
数かぎりなく迎えながら
うつくしい貝がらの
ひとつ
ふたつ
握りしめて
砂だけはしっかり
足あとをとどめてくれるかと
あさく信じて
ひとり
ひとり
くずれのほうへ
繊細な
やさしい
やわらかな
レース織りのように
寄せていく
ぼくら
浜のほうへと
ぼくらも
(『ぽ』305号・2008年8月)
2010年9月30日木曜日
東からの風
東からの風がつよいね
寝室の
南の窓を開けはなったら
そこからも風
暑かったきのうまでが
うそみたいな日
ひどく蒸していたのに
昨晩の激しい夕立が
ぜんぶ拭きさらっていったみたいだ
こんなすてきな日には
なにも考えないのがいい
あれこれ迷うのも
仔細に検討するのも
たいして意味はないものだと
もうわかっているのだし
冷やしておいた水を
そのまま飲むのが
こういう日にはうれしい
コップを持ちながら
人間っていうのは
どこかの方角を
向かなければいけない
どちらを向いても
きょうはすてきな空がある
うすくむらさきがかった
あこがれのような雲
ほら
あそこにも
そこにも
こんな空の日
人間であるのは
そうわるくない
東からの風が
やっぱりつよいね
そろそろ暮れ方
あこがれのような雲は
どんどん色を増し
大空全体に
あこがれが広がる
水の入ったコップも
ぼくらのこころも
それを逐一写しとるだろう
そうして
いつものように
忘れていく
なにも保たない
コップは空になり
こころもからっぽになり
あしたには
またあしたの
あこがれを
受けとめるだろう
(『ぽ』304号・2008年7月)
寝室の
南の窓を開けはなったら
そこからも風
暑かったきのうまでが
うそみたいな日
ひどく蒸していたのに
昨晩の激しい夕立が
ぜんぶ拭きさらっていったみたいだ
こんなすてきな日には
なにも考えないのがいい
あれこれ迷うのも
仔細に検討するのも
たいして意味はないものだと
もうわかっているのだし
冷やしておいた水を
そのまま飲むのが
こういう日にはうれしい
コップを持ちながら
人間っていうのは
どこかの方角を
向かなければいけない
どちらを向いても
きょうはすてきな空がある
うすくむらさきがかった
あこがれのような雲
ほら
あそこにも
そこにも
こんな空の日
人間であるのは
そうわるくない
東からの風が
やっぱりつよいね
そろそろ暮れ方
あこがれのような雲は
どんどん色を増し
大空全体に
あこがれが広がる
水の入ったコップも
ぼくらのこころも
それを逐一写しとるだろう
そうして
いつものように
忘れていく
なにも保たない
コップは空になり
こころもからっぽになり
あしたには
またあしたの
あこがれを
受けとめるだろう
(『ぽ』304号・2008年7月)
2010年9月19日日曜日
雨がすこし降ったので雨の後とともに時間のなかにいる
雨がすこし降ったので雨の後とともに時間のなかにいる
汗ばんでいる、すこし
必要もないのに歩きに出る
なんという草だろう、みどり鮮やかな美しい雑草の群れを見上げる
エノコログサもまだ若々しいみどり
風が吹くと揺れる
若々しい雑草はうつくしく揺れる
この草たちの明るいみどり
これが希望
これを超える希望はない
希望
みどり
ああ若い女の子が腿を桃のように晒してぴちぴち行く
腿の肌も顔の肌も腕の肌もすべらり
若い希望のひかり
みどり
わたしはもっと老いてアスファルトの上
雨がすこし降った後のアスファルトの上
雨がすこし降った後のアスファルト
うつくしい
不思議な地球の岩石の一種に出会うようだ、よくよく見つめる
女の子はもっとわかくアスファルトの上
雨がすこし降った後のアスファルトの上
雨がすこし降った後のアスファルト
うつくしい
女の子
うつくしい
みどり鮮やかなうつくしい雑草の群れが陽に透ける
女の子も陽に透けて女の子になっているのだろう
わたしも陽に透けてわたしになっているのだろう
アスファルトも陽に透けてアスファルト
雨の後も陽に透けて雨の後
汗ばんでいる、すこし
雨がすこし降ったので雨の後とともに時間のなかにいる
時間とともに
雨がすこし降った後のなかにいる
ああ若い女の子
行く
腿を桃のように晒して
ぴちぴち
腿の肌も顔の肌も腕の肌も
すべらり
若い希望のひかり
みどり
行く
時間とともに
雨の後とともに
時間のなか
雨がすこし降ったので
行く
雨がすこし降った
雨の後とともに時間のなかにいる
2010年9月10日金曜日
なんだ猫だったのか
ずっと見ていると
その猫は塀の上で犬になったんです
それが三メートル以上もある塀だったので
くぅん
くぅん
ぐずりました
飛び降りるのなんて
猫にとってはなんでもないけど
犬はびびっちゃいます
ばかだね、おまえ
高い塀の上で
犬になっちゃうなんて
得策じゃないというものだよ
見続けていると
その犬は塀の上で猫になったんです
で
ひょいと飛び降りて
た
た
た
た
た
犬を見ると
猫だった犬じゃないか、こいつ?
思うようになったのは
それ以来
でも
猫を見ると
もともと
なんだった猫なのか
わかんなくなっちゃいますね
やっぱり
その猫は塀の上で犬になったんです
それが三メートル以上もある塀だったので
くぅん
くぅん
ぐずりました
飛び降りるのなんて
猫にとってはなんでもないけど
犬はびびっちゃいます
ばかだね、おまえ
高い塀の上で
犬になっちゃうなんて
得策じゃないというものだよ
見続けていると
その犬は塀の上で猫になったんです
で
ひょいと飛び降りて
た
た
た
た
た
犬を見ると
猫だった犬じゃないか、こいつ?
思うようになったのは
それ以来
でも
猫を見ると
もともと
なんだった猫なのか
わかんなくなっちゃいますね
やっぱり
2010年9月5日日曜日
ほつほつ
猛々しかった夏
なのに
いつか大人になっていたね
照りつけようも
すっかり
やさしくなって
万物のよわさ
こわれやすさを知る
おおらかな
暑さ
みどり
風
水のひろがり
花から花へ
つらなっていく
のこりの夏の
さまよ
目を持ち
耳をひらき
肌のすべてで受ける
色あざやかな
この世
挨拶ばかりを
送る
ほかはない
充溢
わたくしは
また
ことばを
思いを
ほつほつ
ほつほつ
散らしながら
いくよ
もう少し
すこしだけ
あのほう
むこうのほう
まで
(ぽ392号・2010年8月)
なのに
いつか大人になっていたね
照りつけようも
すっかり
やさしくなって
万物のよわさ
こわれやすさを知る
おおらかな
暑さ
みどり
風
水のひろがり
花から花へ
つらなっていく
のこりの夏の
さまよ
目を持ち
耳をひらき
肌のすべてで受ける
色あざやかな
この世
挨拶ばかりを
送る
ほかはない
充溢
わたくしは
また
ことばを
思いを
ほつほつ
ほつほつ
散らしながら
いくよ
もう少し
すこしだけ
あのほう
むこうのほう
まで
(ぽ392号・2010年8月)
2010年9月2日木曜日
若い水のように
見た夢には音がなかった
噴水の先
水玉はたえず入れかわり
並木の葉々は揺れ
ときおり鳥たちの影が
青空をよこぎる
雲は大きく動き続け
若い水のように
ふるえる大気
人かげはなく
ある日しあわせだった
世界の横顔のよう
くったくなく光は躍る
影はくつろぐ
なにか起こる気配もなく
重大なことの後の
くつろぎでもなかった
どこにいたのだろう
夢のなかで
揺れる木々の下か
陽のあたるベンチか
噴水の水玉の
なかから外を見てもいた
鳥たちの軌跡を
上から追ってもいた
そこかしこ
どこにもいた
過去ということ
いまということ
見た夢には
音がなかった
いますか、私を知っているひと
来るだろうか
声なら
ある日しあわせだった
世界の横顔のよう
夢からの声
若い水のように
◆「ぽ」296号(2008年7月)
噴水の先
水玉はたえず入れかわり
並木の葉々は揺れ
ときおり鳥たちの影が
青空をよこぎる
雲は大きく動き続け
若い水のように
ふるえる大気
人かげはなく
ある日しあわせだった
世界の横顔のよう
くったくなく光は躍る
影はくつろぐ
なにか起こる気配もなく
重大なことの後の
くつろぎでもなかった
どこにいたのだろう
夢のなかで
揺れる木々の下か
陽のあたるベンチか
噴水の水玉の
なかから外を見てもいた
鳥たちの軌跡を
上から追ってもいた
そこかしこ
どこにもいた
過去ということ
いまということ
見た夢には
音がなかった
いますか、私を知っているひと
来るだろうか
声なら
ある日しあわせだった
世界の横顔のよう
夢からの声
若い水のように
◆「ぽ」296号(2008年7月)