ジャン・コクトー(1889-1963)
[Cannesの翻案・翻訳]
1
思い出のミモザが
きみの帽子の上でお休憩。
小さな鳥、小さな薔薇
結核に脅かされて。
暮れ方の5時か6時には
地中海は鉛色。
きみが座るには涼しすぎだろうね。
2
ごらん 女神が身震いしている。
モンテ‐クリスト伯なら
(自動車はまだなかった)
メルセデスを4台持ったことだろう。
彼のための特別製。
ドイツ人の囚人たちが作ったやつ。
3
ぼくの祖母がね、日曜日だったが…
お目覚めだ。ホテルか船で
ラトー*の音で髪をとかされて。 *(ルーレットのチップ寄せ / 熊手)
白い別荘の象たち、
あれこれの病気のエゴイズム…
市内電車がメロディーを引きずっていく
ミモザの木々の下を。
4
いいお天気で、大賑わい
今朝、クロワゼットは。
ぼくの視線は一匹の鱒
かろやかな流れを行く。海は、
渚で、自分の足をなめている。
あそこの母さん、パラソルの下で
エステレル山系*みたいな翳をつくっている。 *(プロヴァンス地方の山系)
青いシャンパンが溢れる
クリスタルのグラスから。
ほらほら、あのきれいな母親は
子供のかたこと言葉を編んでいる
5
ぼくの耳は貝の殻
海のざわめきがとても好き。
6
踏み忘れた韻のいくつか。
戻ってきてはいけなかった。
ぼくは1000歳、あの時5歳。
雌の仔犬のザザもいた。
エドワード7世もいた
壊された橋の上に。
カモメたちが身軽に
ロープでブランコしている。
ここもやっぱりふるさとなんだ。
◆映画好きだから、5月といえばいわずと知れたカンヌ国際映画祭を思い浮かべるものの、べつに興味もないし、セレブの集いだの宴だのもどうでもいい。一作に出演するだけでトム・クルーズは42億を稼いだこともあったと聞くが、そういう人びとの集いや、それに群がる様々な業界の人びとの雲集となれば、いよいよ関係ないという他ない。生活保護の不正受給どころでない途方もない格差が歴然としてあり、一般市民とやらはそうした徹底した格差にはひどく不感症で、他人の宴を望見するのを案外楽しんだりする。まったくいつの世も、時代だの社会だのというのは、なにからなにまで、真面目になど考えれば馬鹿を見る饗宴ではある。
◆そういえば、ジャン・コクトーに『カンヌ』という詩があったな、と久しぶりに読んでみると、やはり面白い。どういう口調やアングルで日本語にすればいい詩か、これにはずいぶん悩まされるが、シャンソンと違い、天下のコクトー先生のものだから、なるべく書かれているのに近く意味を並べてみようとしたら上記のようになった。思い違いをして読んでしまっているところなどもあるかもしれないが、とにかくも、今の私はこのように読んでみた。
詩とはしばしば、単語と単語、文と文との分断だが、さすがにコクトーはほうぼうにクレバスを作っている。クレバスを軽々と飛び越えて、詩人の胸に飛び込んでいける者だけが選ばれるのだ。詩とは、もちろん選抜の場なのである。コクトー自身、「詩人が詩を書くのは、自分と同じ言葉を話す人間を見つけるためだ」と言っていた。コクトーのこの詩を読んで、つまらないと思うようなら、詩には無縁と思って、テレビ地上波のゴールデンタイムの荒地にでも去っていただく他ない。こういうものをなによりも面白いというのだよ。このところ声を潜めてばかりの詩人たちは、大声を出して、もう少しこの国を叱ったらいいのだ。
◆5章には見覚えがあるという人も多いだろう。堀口大学が『月下の一群』に決定的な名訳を披露した箇所だ。
わたしの耳は貝の殻
海の響きを懐かしむ
やってくれるじゃないの、と思う。忘れがたい大好きな訳だが、しかし、ちょっと言わせてもらえば、『カンヌ』全体の調子とは、やっぱり違うんだな。しかも原詩は、「懐かしむ」ではなくて、あくまで「好き」と言っているに過ぎない。「懐かしむ」と言ってしまっていいのかどうか。やはり悩む。「懐かしむ」のほうが旧派的に詩的だろうが、しかし、旧派になってしまう。コクトーが徹底的に旧派的ではなかったのを思えば、やはりシンプルに「好き」でいこうよ、と思う。
さらにいえば、この2行全体の意味は「ぼくの耳は、海のざわめきが好きな一個の貝殻」ということで、「響き」ではないんだよな。「ざわめき」や「騒音」や「物音」や「ノイズ」などの意味のあるbruitであって、「響き」と言えないことはないものの、やはりキレイに流し過ぎだろう、大学さんは。
◆それにしても、物の名、固有名詞などの適切な散らし方が、シャンパンの泡ほどにピチピチと気持ちいい。詩歌においては、物の名や固有名詞を混ぜて書くのは、普通名詞だけで書くのよりもエネルギーがいるし、知性のコントロールも要る。体力や気力が弱まっている時には、それらの名詞を適切に散らしながら書くことができなくなる。どこかで思いつめ過ぎている時も同様。思いつめると、思考の肩こりが激しくなって、適切な所作ができなくなるのだ。ほぼ普通名詞だけで書いた吉本隆明を対照の極に思い出して、コクトーとの比較論をやると面白いかな。
[原詩]
Cannes
Jean Cocteau
1
Le mimosa du souvenir
Sur ton chapeau se reposa,
Petit oiseau, petite rose,
Menacés de tuberculose.
A 5 ou 6 heures du soir
La Méditerranée en zinc ;
Il fera trop frais pour t’asseoir.
2
Vois se secouer la déesse.
Le comte de Monte-Cristo
(Mais il n’existait pas d’autos)
Aurait eu quatre Mercédès,
Faites pour lui spécialement,
Par des prisonniers allemands.
3
Ma grand’mère, c’était dimanche...
Le réveil : hôtel ou bateau,
Peigné par le bruit du râteau ;
Les éléphants de villas blanches,
L’égoïsme des maladies...
Le tram traînait ses mélodies
Sous les arbres de mimosa.
4
Il fait beau, il y a foule
Ce matin sur la Croisette,
Mon regard est une truite
Des eaux légères. La mer,
Au bord, se lèche les pattes.
La maman, sous son ombrelle,
Fait l’ombre sur l’Estérel ;
Le champagne bleu déborde
De la coupe de cristal.
Voyez donc, la jolie mère
Tricote les babillages.
5
Mon oreille est un coquillage
Qui aime le bruit de la mer.
6
rimes oubliées :
Il ne fallait pas revenir ;
J’ai mille ans et j‘en avais cinq.
La petite chienne Zaza.
On voyait le roi EdouardⅤⅡ
Sur la passerelle détruite.
Les mouettes délicates
Se balancent à la corde ;
Encore un pays natal.
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