2012年9月26日水曜日

時間は時間

  

数日続く
たまの休みの日

あれもやろう
これもやろう
片づけもしよう
模様替えもしよう
など思いながら
結局なにもせず
ちょっと読み出した
小説なんぞに引きずられて
いつのまにか夕方

やるべきこと
やりたいことが
あああ
できなかった
むなしく
一日終わってしまった
など思うが

あれもやったり
これもやったり
片づけもしたり
模様替えもしたり
そんな過ごし方が
ほんとうに
価値があるのか
それだって
ずいぶんと怪しい

ふかく
ふかく
確信のようにあるのは
どう生きたって
いいんじゃないのか
ということ

なにで
どんなふうに
埋まろうと
時間は
時間
生は時間そのもので
内容物ではない

確信のように
こんな気持ちがあるのだが
間違っているかね

秋草でいっぱいの
この野原
ここに寝ころがっているより
シャンゼリゼを
ふらついているほうが
ほんとうに
価値があるなんて
思えないんだけどな

どちらでも
いいんじゃないかと
思うんだけどな


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