2015年7月31日金曜日

兎角何高最高爾凄威居士

  

人びとが語るのを聞いていると
ようするに
「すごい!」
と一言にまとめたいがために
まとめられたいがために
じぶんの包装に
ムリして金をかけたり
労力を費やしたり

きっと
墓石にも
「すごい之霊位」とか刻んでやれば
満足だろうに
「兎角何高最高爾凄威居士」
と戒名も付けてやれば
成仏どころか
上々出来だろうに





営々とつくり残しておいてしまう

  

人目を気にして
もし褒められるなら
なにかを続けようかな
無視されるなら
そうそうとやめちゃおうかな
そんな人たちが
この世には
ほんとうにいっぱい

人がこちらに気づいて
なんやかや
偉そうに言いはじめる前に
とにかく途方もない量を
営々とつくり残しておいてしまう
そんなことで
いいんじゃないかと思うがね
ぼくは




ピエールのいたいけなエロス

  

フランスで知りあったオジサン
25歳も年上だった友人ピエールは
ぼくをよく別荘に連れていってくれて
庭の納屋や屋根裏部屋の倉庫で
第一次大戦中のフランス軍の重い銃や
ナチスの爆撃機が落としていった
爆弾の大きな破片なんかを見せてくれた
ときどき指を口にあてながら
「これは女たちにはナイショだぞ
と念を押しながら
ずいぶんと時代物のヌード写真や
エロチックな挿絵満載の雑誌などを
あれやこれやと見せてくれた
けれども可哀そうなピエール!
それらはどれもずいぶんとお上品で
なんと可愛らしいエロチック趣味
こんな程度で興奮してしまえて
女たちにはナイショにしなきゃなんて
思い続けてきたあなたのエロスが
わびしく哀しく可愛らしかった
ずんずん突きつめ羽目を外して
異常の果てまで行こうとしても
いずれどこかで留まるか生き倒れるか
戻って来なければならないから
あなたのレベルで留まってみるのも
それはひとつのエロスとのつきあい方
ともあれあなたの心臓も4年前
急停止してエロスも飛び去った
現代から見れば少年のようだった
いたいけなあなたのエロスに向けて
蝋燭よりもミルクをコップ一杯
お供えしようかとぼくは思う



一歳か二歳の頃から

  

夢というものを人生に
投影したことがなかったので
夢破れる経験もなければ
希望を失ったことさえない

あたたかい南の海で
波に揺られたり
のんびり陽に当たっていたり
そんなことは
よく望んだけれども
夢と呼ぶには
ふさわしくないだろうし

どう生きたって
どんな装いをしたって
みんな骨になっていくのに
なにをあくせく
競いあったり
人目を気にしたり

一歳か二歳の頃から
ほんとうにそう思っていたのを
だれが信じてくれようか
首根っこつかまえて
くだくだと語り聞かせて
みたところで




早いひとりだけの秋



もう蝉が
ひっくり返って
玄関ちかくの通路で
死んでいたのよ

暑いまゝ
夜の更けていく熱帯夜
思い出して
妻がぼそりと言う

あゝ、早い蝉は
そうだろう
早い夏を終え
早いひとりだけの秋…





夏夜想

  

夜の蝉が盛りへ上りつめて行く
湿り気の声を鳴いてゐる

街灯近くの木々は蛍光色に近い
不思議なグリーンをして

此処に居つづけてゐる私を誘ひ
続けてゐるだらうか

記憶のむかふに近い街々も暑い
こちらの村々は暗む

茶をなにかと淹れてくれた女も
ふつと居なくなつて久しい

 まだ蝗はさう出てゐないだらうが
秋はいつも足早に来てしまふ

 生きてゐることは斧を研ぐこと
命を怠りなく絶つ時のために




2015年7月30日木曜日

ダレろよソレろよレレろよロレろよ



ちょっと前にも
ニッポンの戦後詩とか現代詩っていうのが
好きだ
それをどう継承するべきか
そこに現われた問題をどのように…
云々
云々
という人に会ったが
―バカでねェのか、こいつ?
って思った
せいぜいツマンナイ「詩」(額縁付きの!)
書いてておくんなせィ

現代詩っていうの
ぼくだって
ほとんどは読んだよ
面白かった
感じた
時も
あった

でもホイットマンやギンズバーグをホントに楽しく読んだ後では
ぜんぶスットンジャッタな
詩ってなにをどう書いてもどう改行してもどうフザケテも
どう卑猥してもどう畏マッテも政治してもノンポリしても
人生してもしなくてもホント書いてもウソばっか書いても
いいんだゼ
って肌の奥の奥の細胞に染み込んじゃったんだよネ
あれでいいんだって
あれは革命だったナ
ホイットマンやギンズバーグ読んだってのは

ぼくはもともと始まりがビートルズやボブ・ディランだから
みっごと
うまぁくミックスしちゃったわけヨ
最近はヒッピーがいなくなっちゃってサビシイ

詩って
ヒッピーだろ?
他のなんて
ウソだゼ
小市民してるなヨ
反抗とか抵抗とかいうより
とにかく
ダレろよ
ソレろよ
レレろよ
ロレろよ




しあわせな生き延び



ひどい死に方だ、とか
悲惨な最期だった、とか
まだ死にたくなかっただろうに、とか

そうかな?

まだ体力や知力や精神力の
余力のあるうちに
アッサリ、ってのも
悪くないかもよ

ちょっと暇があったら
そして
よほどの
精神力の張り切っている時にでも
大病院の病棟や
介護施設に行って
じっくり見学してきてごらん                                          

アッサリ、ってのも
悪くないかもよ

しあわせな生き延び、ってのが
いちばん
稀少なこと




楽に生きよう



「生活など召使に任せておけ」
      ヴィリエ・ド・リラダン

  
楽に生きよう

まァめんどうに考えないで
楽に生きよう
めんどうに考えさせたがる人が
わさわさ
わさわさ
後から後から出てくるけれど
楽に生きよう

そんな連中の手管に乗っちゃあ
いけません
そうですねえ
大事ですねえ
大変なことですねえ
まいっちゃいますねえ
まったくですねえ
困ったことですねえ
どうなるんでしょうねえ
とかなんとか言っておいて
楽に生きよう

収入にならないことや
当座の快楽にならないことは放って
なんであれまとめて
その筋のプロに丸投げしちゃおう
楽に生きよう

考えるのや
明日を切り拓くのや
問題解決するのや
眉間に皺寄せるのや
デモに行くのや
ブログに時評書くのや
批判に熱意を燃やすのや
放射線量測るのや
新聞各紙を比べ読みするのや
海外報道をウォッチするのや
ピケティ理解するのや
twitter追ったりするのや
スーパーの売り出し追うのさえ
他人まかせにしちゃおう
楽に生きよう

暑過ぎるんだから
楽に生きよう
ただでさえ仕事多過ぎるんだから
楽に生きよう
冬になったらなったで
寒くなるんだから
楽に生きよう
個人で四苦八苦しても
歴史の宿命からは出られないし
生まれ落ちた時から
限界に四方阻まれているんだから
楽に生きよう

なにをどう学んで
どう考え抜いたって
一日24時間はサッと過ぎていく
素粒子論も数式で理解したいが
白玉小倉あずきも食べたいし
寅さんシリーズだって
深夜にどっぷり見直したい
もちろん小津安二郎だって
ヴィスコンティだって
あゝヘーゲルもドイツ語で
熟読してみたいでしょ
近頃の美女たちの
とびっきりのヌードも
たっぷり眺めたいでしょ
時間は足りな過ぎるんだから
楽に生きよう

誰にもできることは他人に任せて
ここにいる今の自分にしか
出来ないことだけを飛び石するように
楽に生きよう
全世界のことも
人類のことも
国のことも
未来も過去も
みんな有為のみなさんに任せて
楽に生きよう




すべては搾取から

  

工場の協働者が死んだ時
一時的であれエンゲルスは
マルクスへの送金を
止めねばならなくなったのだとか

マルクスは怒ったそうだ
「おれにプロレタリアみたいな
「暮らしをさせる気なのか!
「おまえは?

ボルドーワインが好きで
ヴァカンスはコートダジュール
プロレタリアとはいちばん
遠い暮らしぶりのマルクス

そんなマルクスに
優雅な学究生活を続けさせるために
エンゲルスは自分の工場の労働者たちを
しっかり搾取し続けたのだそうな                                 




これは

  

めったに行かない都北の繁華街で飲んで
家までそう遠くないものだから
歩いて帰ってきた
印刷工場の多いあたりを突っ切って歩いてくると
少し到着がはやいので
ふだんは通らない道から道
辿りながら
どこも街灯が点いた夜の中を進む

ある工場のわきを通りながら
ハッとなった
学生時代に働きに来たところではないか
文芸同人誌を作るために
急いで金を貯める必要があった時
このあたりの印刷工場に働きに来た
たまにこのあたりを歩きながら
どの工場だったか
この工場だったのではないか
そう思いながら思い出してみることはあったが
いつもどこか違うように感じていた
ところがこの夜
その工場の全景を見ながら
ありありと思い出した
大きな入口があっちにあって
こっちは製品や資材の搬入搬出用の大きなプラットホームがあって
そうそう、この入口
ここに守衛室があって
あの奥から労働者は入ってタイムカードを押して…
そんなふうに思い出がきっちり合致して浮かんでくる

あれ以来
紙の媒体で出し続けた雑誌には
グループのものも自分ひとりのものもあわせて
総計500万円以上かけたのを計算したことがある
他のことに金も労力も注げばよほど良かったとは
誰よりも自分が思うが
そうしていたならば今よりももっと愚かだっただろう
賢くもならず何者かにもならず成熟もしなかったが
ごくわずか愚かでなくなる方向に動くためには
そのぐらいの金を蕩尽して労力を燃焼しなければならなかった
書いたものにもこだわらず
仲間になったり離れたり友人になった幻想を抱いたり
そんなものが幻想に過ぎなかったと思い知ったり
こんなサバサバとした人間になり切ってしまったのは
あれらの金と塵労のおかげか

本の表紙を機械が糊づけしたものが出てくると
糊をぴっちり貼り付けるために
表紙の上から掌をあてて適度な力でスーッとならす
そんな仕事を数時間続けることもあったが
その後は手首が固まって動かなくなってしまう
本に帯をつけ続ける仕事もあったが
ちょっとでも歪んで付けてしまったりすると
主任がベルトコンベアーを飛び越えて来て
お客さんに最良のかたちで届くように整えるのが仕事なんだ!
帯ひとつでもいい加減な気持ちで付けるんじゃない!
と叱責してまわるのだった
厳しくうるさい職場だったが納得のいく厳しさで
こんな人たちによって本が作られていくのかと現場で知ったのは
どんな学校や図書館で本を弄ってみるよりも教育的だった
できあがった本の束を決まった数ずつスノコに積み
それがクレーンで運ばれてトラックに積まれて行くまでが仕事だっ
食事の時間もあったがこれが驚愕するようなもので
ラーメンが届いたから、と言われて向かうと
別室の床一面にラーメンが100椀ほど並んでいる
五分で食べて持ち場に戻れと命じられて必死で啜り
なんだか軍隊みたいでこんなのは初体験だとけっこう新鮮で
それにしてもこういうのは労働法に引っかからないのだろうかと
考え考えしながら持ち場に戻ったものだった

毎日出会った何本も歯の抜けた中年のオバサンはまだ元気だろうか
今でいうシングルマザーだが女手一人でふたりの子持ちなもんで…
と当時の人が言うような表現をするやさしい人だった
撫で肩で腕の肉が白く弛んでいて髪もちょっと薄めで
どこか鬼太郎の世界に出てきそうな薄倖そうな人だった
なぜだか毎日のようにタイムレコーダーのところや
出勤途中の道すがらに出会うのでけっこう話をしたが
あなたみたいな学生さんなんかと違って
私にはこんな仕事しかできないもんだからあっちこっちと
よくこういう仕事に来るんですよと話していた
もうちょっと話す機会があったらとも思ったものだが
ありえなかっただろう、そんなこと
雑談や無駄話なんかする時間はあのような人にはない
時間があったら他の仕事を差し込まないとやっていけないのだ

あのオバサンも含めてこの工場全体が
何十年も経ってこうやって目の前に蘇ったのを見ながら
これはいったいなんの意味なのか
なんの比喩なのか
などと考えざるをえなかった
はじめて同人雑誌を作るための金を貯めるために来た工場の前に
もう一度戻って来てひとりで見直してみているのは
何十年も前に始まったひとつのサイクルが
ここでこの瞬間に輪を閉じるとでもいうことなのだろうか
もうすべて終わりにしてしまっていいのか
人がよく「人生」などと呼んで御大層に何事かに祀り上げたがる
たいしたこともない長いような短い時間の塊を
ここで丸ごと捨ててしまえ
すっかり軽くなってしまえ
そんな含みのある偶然の回帰なのか
これは
これは
これは



どれだけ時が経ってもまた別の話をぶつけることでえんえんと戦い続ける

  

叔母のひとりから勧められて
学生時代の夏
蓼科高原にアルバイトに行った
ペンションでの住み込みの仕事で
20日ほどの期間

天下の蓼科高原
風景も気候ももちろんよかったが
宛がわれた寝床は屋根裏部屋で
窓も空気穴もない暑い空間
寝床用に一枚だけ敷かれたマット
そのまわりには山をなすほどの
たくさんの羽虫や蛾などの死骸
どの虫もこの部屋に入って来ては
あまりに暑くて死んでしまうのだ

仕事は食事作りから掃除から
薪割りからドライフラワー作りまで
夜のディナーが終わると
女性の多いお客さんの話相手になって
カクテルなんかを飲みながら
ようするにホストをしろということ
そうした仕事が嫌だったわけでもない
夏のペンションっていうのは
こんなものなわけかと思いながら
どれも嫌とは思わずにやり続けた
しかし酷いところもいっぱいで
たとえばコーヒーなんぞは毎朝
いっぱい作ってしまって
大きな金樽に入れて流しの下に
置いておき注文が入ると
一杯分ずつ温めてカップに入れる
樽はゴミのわきにあるから
あまり清潔とはいえないが
マスターはまったく意に介さない
ランチやディナーではよく
お客さんがパセリを残すけれど
始めの頃それらを捨てていたら
マスターにひどく怒られた
なんでパセリ捨てちゃうの?
齧っていないんだから
他のお客さんに出せるでしょ?
じつを言えば手をつけていない
サラダの一部やトマトなんかも
同じように使いまわし
これはひどいことやってるなァ
とは思うものの郷に入りては
なんとやらでこの店では
マスターが掟だから従う他ない
はじめは屈託ない顔をしていたものの
だんだん許し難いことを見続け
どことなく暗い顔に
なっていった可能性はあった

ヒモトマサアキという名なので
マーちゃんと略して呼ばれ
マーちゃんこっちの席に来て…
マーちゃんゴミ捨てて来て…
ハイハイとけっこう小まめに動いたが
哲学だの思想だのに興味の行ってる
眉間にしわ寄せ系の最たる若者だったので
やはり場所には合わないところもあったろう
それにあわせて毎日のごとく
パセリやトマトの使いまわしや
たまには虫も浮いているコーヒーの
あの流しの下の樽を見続けてきて
素直にハイハイとは出なくなりつつあって
マスターはある日ついに、マーちゃんね
一週間やってもらったけれど
どうも合わないところがあるみたいだよね
今日までということで
明日帰ってもらっていいから
いままでありがとうね
と解雇通告を出してくれたのだった

喜び勇んで翌日
午前中のバスで立ち去ったが
途中下車して滝を見に下ったり
湖に出て夕方までポカンとしたり
たった一日だったがけっこうたっぷり
蓼科高原のリゾートを味わった
同僚だった料理人が作ってくれた
弁当サンドイッチは旨かったし
(ケイオウ出身なんだと言っていた
(あの気のいい料理人さん
(いまも元気かな?
(ケイオウはケイオウでも
(京王料理学校だって言っていた
同僚のバイトの大阪河内の若者が
夜になるとよく言っていた話
ガールフレンドと煙草を吸いながら
キスをして煙を互いの胸に出し入れする
そうすると脳が痺れてきていい気持ち…
あんなことをその後も続けたんだか…
そんな話も思い出しながら
その頃ガールフレンドだった
10幾つも年上の30近い美女に
湖畔の売店から絵葉書を出して
あなたのことばかり思って
高原での労働をなんとか耐えました
とかなんとか大げさに書いて
赤いポストにポカンと投函

…つい数年前のこと
このバイトを勧めた叔母と話したおり
このバイトの話になって
どうやらぼくがどうしようもない
ダメなバイトさんだった
ということになっていたらしいのを知った
ぼくははじめてこの叔母に
ここに書いたような話を語り
数十年もしてようやくぼくの側からの
証言が叔母の耳に届いたというわけ
べつになんと語られていようが
公式でもない小さな関わりの中での話で
どうでもいいようなものなのだが
何年も何十年もして
真実はだんだんと暴露されてくるもので
あのペンション
蓼科高原の「プレイバック part 2」というのだったナ
あそこのマスターがやっていたやり口
まずいコーヒーの大量作り置きや
パセリやトマトの使いまわしや
バイトの寝床のひどい環境なんかを
ここにはっきり書いておいて
真実の暴露の一部としておかなきゃナ

捏造された話
一部の者たちからでっち上げられた話
定説のように固められ
流布した話には
どれだけ時が経ってもまた別の話をぶつけることで
えんえんと戦い続ける
どんな個人的な小さなことであれ
どんな些細なことであれ

言葉はこういうためのもの
忘れた頃に後からすべてをひっくり返すためのもの
聖書だってあらゆる神話だって戦記だって
歴史だって古事記だって
みんな後世の書く気力を持ち続ける者が
すべてをひっくり返して報復を遂げるためのもの
まだまだ書き晒すものがいっぱいだ
文字は報復のためにあり
という言葉で
このように記し続ける行為を
むかし
韓国の詩人
金芝河さんは呼んだものだったナ
もっとスケールの大きな
国家的事件を扱いながらではあるけれども