2015年7月12日日曜日

あらゆる法は無法であり無効なのは



学校では道理をあんなに教え込まれ
世間のどこへ行っても道理の通るよう
振舞い働き人づきあいをしろと言われ
そう努めて苦労もしてきたというのに
力の集まるところではまったく逆に
道理の通らないやり口が次から次から
それを見て怒り声を上げる人も多いが
たゞガス抜きをされるだけのように
ひとしきり騒ぎになってすべて終わる
自分ひとりのことなら根っこから
深く全面的に直しもするけれども
大人数での世の中のこととなると
そんなふうにはどうにも進まない
そういうのをとやかくあげつらって
世の中は学校の小理屈では動かない
なんでも利益と裏取引とツテとで
物事は動いていくだけのことさと
道理を求める人たちを世間知らずと
小馬鹿にする世間通も出る始末
たしかに人間の動き方は学校風の
窮屈な理想主義の道理では済まない
とはいえ原発被害を見捨てるとか
憲法を平然と無視し政府が動くとか
そんな道理破りまでを平気で認める
世間通というのはどういうことか
世の中ってのは道理や理屈じゃあ
ないんだよと本気でいうのなら
もはや誰の理屈も道理も通らない
じゃあ言わせてもらうがもともと
税金を取り立てられる義理もないし
既成の社会構造を尊重する必要も
そもそもどこにもありはしない
言語活動を停滞させるこの国の
敬語体系だって維持する必要はない
壊すんなら本気で全部壊したるぜ
官僚や役人は国家サービス員だから
名誉と奉仕を体現した象徴として
もちろん無給で働かねばならぬ
民主主義国家である以上もちろん
国民の投票によらぬ上位者など
いてはならないし廃止せねばならぬ
憲法の一部が勝手に無視されるなら
他の全部もいかようにも無視される
そもそも憲法制定後に生まれた人間は
憲法の是非に参画していないのだから
いかなる順守義務も存在し得ない
憲法だけでなくあらゆる法体系が
じつは後から来る者たちによって
本来的に否定され拒否され得る
自分が制作したのでもない法を
否応もなく受け入れさせられるのは
たとえ同国人という幻想の中であれ
一部が権力により他者を支配すること
こういう原理的思考によってじつは
あらゆる法は無法であり無効なのは
デリダが彼のニーチェ論の中で
とうの昔に展開した通りなのだが
もう誰もあれを読みもしないで
偉そうに憲法論議をしているのか
人権宣言以来のあらゆる法の無効を
デリダはねちねちと論証したが
彼に言われるまでもなく法はすべて
作った人とそれ以外の人との異様な
理論上の同一視によってのみ成り立つ
ここまで掘り下った徹底した見直しを
そろそろこの国ではやらかすべき時か
本当に蓋を開けていいというのか
本当にそれがお望みだというのか
なんでもかでも曖昧にいい加減に
誤魔化して過ぎ去らせるやり方の
まるでギリシャのように島が集まった
理屈や論理をなにかと軽視し続ける
その場しのぎの極東島民たちよ




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