眠りから覚めるあたりがいちばん恐ろしい
過去の思い出がどれも鮮明に次々蘇って来続け
そればかりか経験しなかったはずのことも訪ねて来続ける
思い出はある状況下でこちらから見えていたことだけのはずだが
見えていなかったはずの他人たちの心も考えもぜんぶ見えてしまう
それらがありありとわかるから恐ろしいというのではない
それらがまるで記録してくれどこかに残してくれというように
次々やって来続けるのがあまりに甚だしいので恐ろしい
一日24時間というけれどそれは1440分ということで
1440分ということは86400秒ということだが
少なくみても86400粒のぷちぷち充満した
多層的な入り組んだ記憶が怒涛となって押し寄せてくる
どれが重要でどれがどれより無価値だということがないことは
ネルヴァルやプルーストを読み込んだ人にならあたり前の常識で
そのうえ超現実主義やナンセンス文学もたっぷり経過してきた脳に は
重要でない断片や砕片など存在しないのだからすべてを収集し直し て
これまでの経験の全容を再編成しようと絶えず脳は動き出し直す
それでいてすべてを言葉に移し換えることなどに意味はないのを
わたしは多くの覚者たちから学んで来ているから文芸の無意味さな ど
誰に言われるまでもなくわかり切っている
今はOSHOと呼ばれるラージニーシはよく説法でいっていたもの だ
言葉づかいの上だけではいかにも悟ったようなことを言う詩人たち ほど
じぶんの言葉の意味がわかっていない連中はない
彼らの精神ほど悲惨なものはない
それでもわからないながらも彼らは知らずのうちに真理に近づくこ ともある
多くの芸術家たちがやはり無知ながらに真理を物質化する時がある ように
クリシュナムルティーなどはあらゆる美術館について
森や林を破壊して美術の倉庫や陳列場所を造るほど愚かなことはな い
美は人が手を加えないありのままの自然の中にこそある
誰もが木は美しいなどとよく考えもせずに言うが
あなたは一本の木を本当に見たことがあるか
それを木とも思わず何の木だとも名を知ろうと思わず
それを自分の庭に植えようかどうしようかとか
その木を昔いっしょに見た人は誰だったかなどと記憶に迷い込もう ともせず
これこれの名を持ちこれこれの生き方をしてきた自分が見ていると も思わず
ただ無念無想で目の前の一本の木を見続けることをしたことがある か
あと20分したら食事に行かなければとかも思わず
観察するのでもなく科学の眼鏡で吟味するのでもなく
ただ見続けるということをしたことがあるか
そういうことをしたのならば世界もあなたも時間も空間も
今のこのままでとほうもないものであるとあなたは悟ったはずであ り
そうならばあなたにはなんの問題もなく今後問題が生じてくること もない
どう生きていったらいいか世界の戦乱や貧困をどうしたらいいのか
そんな問題がまったく問題ではないことにあなたは気づいたはずで あり
問題のなさそのものにあなたは成り切ってしまっているはずである
もしそのように一本の木さえ見たことがなかったのならば
あなたはこれまでたったの一瞬さえ生きたことがない
あなたはあなたを生きたと言いたいだろうがあなたとは幻影であり
過去の多くの情報や反応の束である鏡影にすぎない…
ここまで行った者が
言葉へ
人へ
社会へ
帰ってくるのは本当に難しい
帰ってきても
観察者になる他ない
あるいはナンセンスを装って人間言語を
埃のように
燃えかすのように
はかなく散らして市井に交じり入るしかない
cf. J Krishnamurti - The Real Revolution - 1. Where are we going?
https://www.youtube.com/watch?v=lQVzDTzpHXA
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