人が死んで五年も六年も経つと
もう死んだことそのものは
あるか無きかのようになって
死んだはずのその人はいよいよ
死の頃の姿から解き放たれて
元気だった頃よりも
さらに丈夫そうに若返って
まるでたまたま
今この部屋にいないかのように
あゝ今日はどこにいるのか
今頃なにをしているのだろう
この頃は元気でいるだろうかと
ごく自然に思うようになっている
五年も十年も続く死などない
思うことをもう言葉にしなくても
そのまま伝わっているような
はっきりした通じあいができて
親しいとか分かりあっているとか
あるいは一体感があるとか
そんな言いかたでは足りない
あたりの空気がまるで目のような
耳のような皮膚のような
明るさも暗さもどんな温度も
その人自身のこころのような
聞き間違いも見間違いも
見当違いももう全く起こらない
私自身よりも私であるような
そんな環境がまわりに
つねにあるようになって
きっと死んでいるんだわ私も
と時どき思いもするほどに
滲み続けるように生きている
たぶんけっして
死なないであろうあり方で
わたしたち
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