2016年3月5日土曜日

わたしたち



人が死んで五年も六年も経つと
もう死んだことそのものは
あるか無きかのようになって
死んだはずのその人はいよいよ
死の頃の姿から解き放たれて
元気だった頃よりも
さらに丈夫そうに若返って
まるでたまたま
今この部屋にいないかのように
あゝ今日はどこにいるのか
今頃なにをしているのだろう
この頃は元気でいるだろうかと
ごく自然に思うようになっている
五年も十年も続く死などない
思うことをもう言葉にしなくても
そのまま伝わっているような
はっきりした通じあいができて
親しいとか分かりあっているとか
あるいは一体感があるとか
そんな言いかたでは足りない
あたりの空気がまるで目のような
耳のような皮膚のような
明るさも暗さもどんな温度も
その人自身のこころのような
聞き間違いも見間違いも
見当違いももう全く起こらない
私自身よりも私であるような
そんな環境がまわりに
つねにあるようになって
きっと死んでいるんだわ私も
と時どき思いもするほどに
滲み続けるように生きている
たぶんけっして
死なないであろうあり方で
わたしたち



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