2016年4月4日月曜日

わからないでいることでこれからもやっていく



夏のように分裂している
肉と血の賑わいよ

ひとは死なないどころか
やはり死はない
ひとの死に立ち会って死ぬのは
ほんとうはじぶんの死の部分
あるいはひとの死の部分
それ以外は変質さえしない

だからといって
すべては生きているなどと思えば
たちまち隘賂に入る
生きているとか生という
ことばがひどく誤らせてしまう
時間をたとえば思い直そう
時間は過ぎる
時間は経つ
というが時間の死だろうかそれは
時間は死ぬのだろうか
ひとは時間ではないのか
ひとは過ぎる
ひとは経つ
ということから始め直すほうが
もっと正確に迫れるだろうか

生きていると思い込んでいる
わたくしの内臓のどれもが
おのおの独自のずれを持つ
時間と場であることを感じる
かれらの時間を無造作に
不正確な統一観のもとに
捉えようとしてはならない

夏のように分裂している
肉と血の賑わいよ
わからないでいることで
これまでやって来れたではないか
わからないでいることで
これからもやっていく




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