あと十年もすれば死ぬだろうから
と
長田武雄氏は蔵書をすべて手放してしまった
書庫としていた六畳ほどの部屋ふたつと
十六畳ほどの
書庫兼図書室が空っぽになり
最高級ではなくとも頑丈な美しい木板の書棚のすべてが
久しぶりに
空気に触れた
埃を隈なく払い
水で拭き掃除をしてから
長田武雄氏は
何度か
ゆっくり
三つの部屋をまわり
水がすっかり乾いたら
ワックス掛けもしようかと考えながら
ともかくも
これで
よい
すばらしい
なにも入っていない書棚は
美しい
と
人生でも
何度かしかなかったほど
軽やかな気分になり
開放感を満喫した
長田武雄氏は爾後
空っぽの書庫や図書室に来るのを
以前にも況して好むようになり
明るい日中など
開けた窓から
戸外の緑や空の青を眺めるのを楽しんだ
曇った日や
雨降りの寂しげな日も
窓を開けずとも
外のひかりの移ろいや
窓ガラスの陰影の彩を見るのを
味わい深く思った
本を読むのをやめてしまったわけではない
本を買い集めるのをやめてしまったわけでもない
家の裏の暗い感じの空き地に
離れた小さな図書館を建てさせ
買い集めた本は
今度はそこに収納するようになった
奇異だったのは
壁に書棚を据えることはせず
本は壁に横に重ねて山にしていったことだった
小図書館内には
やはり三つの小部屋が造られていたが
どの部屋の壁も
すぐに本の山で見えなくなった
本の山の手前にはすぐにべつの本の山ができ
四つか五つの山が四方の壁にできた
長田武雄氏は古書店からも旺盛に買ったが
ある日
かつて自分が手放した一冊を
小図書館のいちばん奥の部屋の
壁から五つ目の本の山の上に置いたのに気づいた
ただそれだけのことだったが
「おかえり…」
と
長田武雄氏は本に言い
家のかつての図書室に赴いて
その本がかつて置かれていた場所の書棚の木板の上に掌を置いた
そうして
長田武雄氏は泣いた
しばらく
涙は
止まらなかった
このことを知っているのは
わたしと
ここまで読んだ
あなただけ
ここまで読んでくれて
ありがとう
あなたに
尽きることないしあわせと
充実と
喜びがあるように
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