2016年10月9日日曜日

一切はこれからであり…

  

あなたの死んだ十月三十一日
また来るから
なにかしようかな
なにかしなくちゃいけないかな
思うんだけど
いろいろ考えると
やっぱり
なにもしないでいいんだ
と思う

あれから六年か

外国人だったあなたの葬儀には
百人以上が集まって
いい天気だったし
さびしくなんか
なかったね
お寺のまわりには林がひろがっていて
葬儀の最中にも
お棺の中にみんなで花を入れている時にも
いろいろな鳥がさえずって
まるで森の中のお弔いのようだった

あなたの血縁は
だれひとり
治療手伝いにも
葬儀にも
死後の整理にも来なかったから
すべてぼくがやった
あなたが死んでからの十か月
家財や遺品の整理は
ほんとうに
極限の心理状態を経験し続ける修行のようだった
人は物を残して
整理などやりようもなく
急に衰え
死んでいくものだから
あなたを恨んだりはしなかったけれど
仕事から帰った後の夜や
週末も祝日も返上で
あなたのいないあなたの家に行って
物の整理や移動をし続けたり
家賃を払い続けることで
ぼくは現代の日本というものから
ずいぶん遠いところへ
突き抜けていってしまった

人の死とは
言葉も反応も
すぐには
返って来ないということ
ただそれだけのことで
ただそれだけが確か
それ以外のことは
この先宇宙がどこまで膨張していっても
断言できなさそうだな
あの長い小説のどこかで
プルーストが
「彼は死んだ。
「永遠に死んだのだろうか?
と書いていたが
死が永遠であるはずなど
あるまい
すべてが流転し
変容する
存在と無の宇宙の渦の中では

言葉と反応が
すぐには
返ってこないからといって
なにかが決定的に
終わってしまったと思うほど
もう
ぼくも愚かではない

また
バフチンを思い出しておこう

「世界には未だかつて
「なにひとつ
「決定的なことは起こっていない
「世界についての
「また世界の最後の言葉は
「まだ語られていないし
「世界は開かれたままであり
「自由であり
「一切はこれからであり
「永遠にこれからであろう*



*ドストエフスキー論



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