絶望が
幼時から
あまりにも長く打ち続いたので
なににも参加しないことにしただけだが
無数の意識たちは今も
小さな闘技場の中で
ほら
あんなに熱狂して
騒ぎ立てている
他人に
時代に
世の中に
なにを求めうるのか
こう呟くと
旧約聖書的な時代錯誤を
語りでもするようで
空恥ずかしい気もするが
子供の頃から
こう思い続けてきた
組のために
チームのために
市や県のために
国のために
人類のために
未来のために
いつでも
こう焚きつける人たちがいた
そうして
どうなったのか
この国は
事故後の放射能は
社会保険制度は
あんなに良好だったはずの
国の財政は
なににも参加しないことを
まるで高見の見物をしているとか
高踏派のようだとか
思う人もいるようだが
あなたがたの参加したあれやこれは
正しかったのか
自然破壊を開発と呼んで
正しかったのか
電化製品を次々ばらまき
パソコンや小さな端末を持たなければ
仕事もできなくしたのは
正しかったのか
鶏豚牛を陸続と殺し続ける社会を作り上げて
正しかったのか
戦勝国の足を舐め続けるように這い蹲って来て
正しかったのか
ただ目を開けて
耳に栓をしないでいるだけで
誰もがわかる
なにもかもが絶望的で
この先
なにひとつ良くなっていく兆しはないと
食肉工場で殺され続ける鶏豚牛と同じように
社会という工場でエネルギーと時間と健康を奪われて
ヒトは陸続と特定の生き方に嵌め込まれるという死に方を
強いられていくだけで
それはこれからもますます強化されていくだけなのだと
なににも参加せず
狂乱と虚栄の場のほとりに
力のかぎり
たったひとりで立ち続ける他に
この世では
なにもできない
こうしていてもいずれ
倒れるだろうが
それでも狂乱と虚栄の場の中に飲み込まれるよりは
空ももっと見えれば
原野も森も見える
無も見える
滅びも
よぉく見える
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