詩
という呼び方を使うと
たいていの詩人たちのことは
すべて否定しなくてはいけなくなるから
言語配列
と言うようになっただけのことで
詩
は手紙ではない
メッセージでもない
描写でもなく
述志でもない
ましてや口ぶりではない
いちばん早く古びていく助詞や助動詞の
ちょっとヘンな(「独自」とでも呼ばれたがっているのか…)
使い方の陳列ではない
インスタレーションでもなく
これ見よがしに人目を惹くことでもない
反戦の意思表示ではなく
平和の願いでもない
社会の悪や矛盾を抉ることでもなく
身のまわりの小さな発見を描くことでもなければ
喜怒哀楽をぶちまけることでもない
もちろん心を表わすものでもなく
考えを記していくことでもない
詩
として提示されているものを読むと
他人に読まれるのを意図して
読まれよう読まれよう「読んで!見て!見て!」として
書かれているな、これ
と感じる時があり
あゝ汚らしい
と思う
手紙であったり
メッセージであったり
媚びであったりし続ける言葉が
たらたら
並んでいて
ようするに承認欲求か
と
哀れになる
中二病が続いているのネ…
詩
は現代のもっとも現代の現代の現代の部分では
冷たさ
キンと凍って
尖がって
冷たくて冷たくて
硬い物質となった言葉の凝集
暑い時にはいい
そんな冷たさに触れるのは
思念のノボセている時
心の暑い時などには
でも
ボクは飽きる
冷たさにも飽きちゃう
なんで
人は型に嵌ろうとしたり
型に到ろうとしたり
ひとつの色あいになり切ろうとしたり
主義だの思想だのと
融通のきかない袋小路に陥ろうとしたがるのだろう
飽きちゃうんだな、ボクは
やっぱり
飽きちゃう
冷たさにも飽きちゃう
飽きられた冷たさなんて
まるで
大寒波で凍りついた汚物処理場みたい
魅力的かい、それ?
魅力的なのかい、それ?
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