なにをしていても
内部にははっきりと声が響き続けている
電車に乗っていても
仕事をしていても
雑事をしていても
映画を見ていても
観劇の最中も
もちろん
読書の最中でも
だから
幼時から一度として
いわゆる現実界に起こっていることに没入したことはなかったし
どこにいても“其処”に居なかった
ある程度これを真っ当に描出したのはヘッセの『デーミアン』や
ドストエフスキーの諸作品や
バルザックの哲学的研究の諸作品ぐらいだろうか
ノヴァーリスの場合はあちら側に行った場合の描出となろう
私の人生は
夢うつつの時に鮮やかに示された前世での
臨終の時の風景や環境を再現し考究し始めたことから
昭和期の一般的な日本人と異なった方向性をとることになった
それをダンテの「神曲」や「新生」の影響を受けながら
描出することに高校時代や大学時代を費やし
もちろんネルヴァルの活動や
幻視家バルザックの徹底的な影響も受 け
昭和期に人間的肉体的身体を持つ身としては
こうした前世と神霊探究に便利な二重三重生活を選ぶ道を辿った
私は22歳で長い霊的叙事詩を書き上げたが
これは出版社には出版を拒否されたものの
担当編集者は助言をくれたり原稿の返還を許諾してくれたりして
今思い直せば決して不幸な出発ではなかったかもしれない
自費出版をするというような考えは持たなかった
その後の人生は私をフランスに緊密に結びつけるようになったが
20代で何度かパリ・マレー区のお宅に伺って会う光栄に浴した
幻想と想像力境界の探究者マンディアルグさん *から
自費出版という行為を厳禁されたからだった
マンディアルグさんの見解とはじつは違う考えも私は抱いているが
この大作家の指導を長いこと守り続けてきたのは事実だった
…しかし
そんなことはこの言語配列においては脇に措いておこう
頭に聞こえ続けている声の響きを
少しだけメモしておこうとしてこの言語配列は始めたのだったから …
歳を重ねる
歳をとる
というのは
地球体験を重ねて
この特殊地域の条件を知り深めていくことなので
やはり歳を重ねないと
時間や空間や記憶の使用法には
どうしても習熟していけないところがある
いま目の前に起こっているあれこれに
まったく左右されることなく
より優先すべき魂の事態のために
目の前のことを分解し素材化し再編成・再合成して
自分だけの魂の事態のために用いるのは
自然や社会や人間関係などに動かされて続けて
それらを現実だなどと思っている間は
まず不可能といっていい
それらが第一義の優先現実でないことは
多くのシンクロニシティーや符号などの発現によって
じつは容易に悟りうるのだが
まるで社会生活が重要であるかに妄信しているうちは
またそれらが実在しているかに思い込まされているうちは
なかなか実感を伴って理解はできない
自分と呼んでいるものが本当に地球上にいて
実在していると信じているのは悲劇とさえ言える
歳を重ねる
歳をとる
というのが実際には身体の物理的な機械疲労度にすぎないのは
ある程度年齢を重ねれば了解されてくる
たいていの人間のマインドの動きの構成は
せいぜい30代までで停止しその後は成長することはない
早ければ5歳か6歳程度でマインドの成長は止まり
後は身体と脳の機械的疲労を経験していくだけが人生となる
したがって30代や40代で死を迎えるのは
マインドの成長の観点から言えば悪いことではないが
魂によってはそれ以上の生存を経験することで
地上の物理学的・化学的な法則そのものが
霊的な法則とはなんの縁もないものであることを知ろうとする
この世の時空法則とは縁のない魂の法則や現実があるのを
あえて魂が不自由になる特殊環境に幽閉されることで経験するので あり
これは結局のところ造物主を賛美する詩的な行為である
…このあたりで記述はストップ。
平成期の時間系が
また私の肉体と肉体脳を呼んでいるから…
*アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ André Pieyre de Mandiargues
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