禅めいた
チープな処世術が
今を生きろ
などと
愚かな放言を続けているけれど
どの今も
去っていくことはなく
ほかの今と
溶け合うこともなく
くっきりと
独立して
わたしがあるように
わたしとともに
ある
今を生きろ
って
どの今を生きるの?
と思う
目をひらけば
前にひろがっている
この今をさ
と処世術屋さんは言うだろうけれど
道元が言ったように
どの今も
独立した球体として
他の今とつながらずに
わたしたちには到達し続ける
目の前にひろがっているかのような
今
それ以外の
たくさんの
今
今
の球が
ちょっとでも敏感なら
あり続けているのが
わかる
めまいがするような
どうしようもない
厖大さ
無限さに
参る
だって
どれもが
今
なんだもの
そうして
生き方
生き方
生き方
この途方もない広大な宇宙そのものの別名
これを
これを
チープな
ちっぽけな
大量販売ねらいの本なんかの
処世術で
枠にはめようとするな
と
再三思う
今は
どんなにこちらが閉じこもっても
どんなにこちらがいい加減でも
むこうから来る
来続ける
どうしようもない
宇宙のこのおせっかい
これを信頼して
甘えまくれ
そうも
思う
いつの時代
どこの人でも
よけいなことを言わずに
しずかに
厖大な数の今を受けとめ続けている人なら
だれでも知っていること
あたり前のこと
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