2017年7月2日日曜日

やはり偶然や奇跡によって



小説を書きたいのに
テーマもいっぱいあるのに
どうしてもうまく書き続けられない
そんな人に会って
チェーン店でコーヒーを飲んだ

知りあいの小説家を思い出した
恋愛問題を書いて
けっこう有名だったが
もうあまり読まれなくなった小説家
いまでは再版もされないので
ろくな収入もないという
飲食店のアルバイトをして食いつないでいる

小説を書き続けられない人に
あなたはたぶん
書き終える前に問題を昇華しちゃう心の構造を持っていて
それって
幸せなことなんですよ
生きていく上では
と言ってみた

小説家になったり
小説で賞を貰ったりした人を
何人か思い出してみると
みんな不幸
小説家で売っていかないと
収入だって入ってこなくなるし
ひとつ書くのだって
集中したり静かな環境に籠もったりしなくてはならないし
そのあいだは他の仕事はできないし
しかもせっかく書き上げたものが
ちゃんと売れるかなどわからないどころか
たいていは世の他の商品の中に埋没して
ろくに批評さえされないで終わっていく
そうこうするうちに
小説家になりかかった人たちや
なったものの第二作や第三作でさらに盛名を得られなかった人たち
世の流れにすっかり飲み込まれて消えていく
どこかの時点で“小説家”という肩書も手放す決意を
させられていく

小説を書き続けられない人に
がっかりさせる気持ちからではなくて
言い続けてみた
ぼくも小説が大好きで
よく読んだし
研究もしたし
論文も書いたし
自分でもそればかり書こうとし続けてきたけれど
そんなぼくでも
もうろくに小説は読まないし
誰々の新作が出たと聞いてもべつに買おうとも思わないし
どうせ読むなら
いつまでも読み込めない感じのフォークナーや
やっぱりバルザックや
うんざりだなァと思いながらプルーストや
ディックや著名なSF作家たちの新訳や
それにやっぱり鴎外はいいもんだなァっていうぐらいの
現状になっちゃいましたよ
これって
老いてきたから
っていうのとはちょっと違って
やっぱり
小説は絵空事
っていうことなんだよね
それを超える小説は
数十年やそこらの堆積や経過では
そう簡単には人類に出現しないものなんだよね
っていうこと
たぶん

言いながら
…そう
とぼくは思っていた
人類にとって事件であるような文芸作品は必ずあり
時どき出現するのは事実
けれども
形式が同じだからといって
昨日も今日もそこらの書店に並ぶようなものとはそれらは違う
人類の最後の言葉であるそれらは
偶然や奇跡によって書かれ
読む必要のある人たちにやはり偶然や奇跡によって
必ず届くものなんだ

そして
もうぼくにはたくさん届いたので
それらを繙き直すだけでも
一生も二生も三生もかかりそうな塩梅なんだ



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