小説を書きたいのに
テーマもいっぱいあるのに
どうしてもうまく書き続けられない
そんな人に会って
チェーン店でコーヒーを飲んだ
知りあいの小説家を思い出した
恋愛問題を書いて
けっこう有名だったが
もうあまり読まれなくなった小説家
いまでは再版もされないので
ろくな収入もないという
飲食店のアルバイトをして食いつないでいる
小説を書き続けられない人に
あなたはたぶん
書き終える前に問題を昇華しちゃう心の構造を持っていて
それって
幸せなことなんですよ
生きていく上では
と言ってみた
小説家になったり
小説で賞を貰ったりした人を
何人か思い出してみると
みんな不幸
小説家で売っていかないと
収入だって入ってこなくなるし
ひとつ書くのだって
集中したり静かな環境に籠もったりしなくてはならないし
そのあいだは他の仕事はできないし
しかもせっかく書き上げたものが
ちゃんと売れるかなどわからないどころか
たいていは世の他の商品の中に埋没して
ろくに批評さえされないで終わっていく
そうこうするうちに
小説家になりかかった人たちや
なったものの第二作や第三作でさらに盛名を得られなかった人たち は
世の流れにすっかり飲み込まれて消えていく
どこかの時点で“小説家”という肩書も手放す決意を
させられていく
小説を書き続けられない人に
がっかりさせる気持ちからではなくて
言い続けてみた
ぼくも小説が大好きで
よく読んだし
研究もしたし
論文も書いたし
自分でもそればかり書こうとし続けてきたけれど
そんなぼくでも
もうろくに小説は読まないし
誰々の新作が出たと聞いてもべつに買おうとも思わないし
どうせ読むなら
いつまでも読み込めない感じのフォークナーや
やっぱりバルザックや
うんざりだなァと思いながらプルーストや
ディックや著名なSF作家たちの新訳や
それにやっぱり鴎外はいいもんだなァっていうぐらいの
現状になっちゃいましたよ
これって
老いてきたから
っていうのとはちょっと違って
やっぱり
小説は絵空事
っていうことなんだよね
それを超える小説は
数十年やそこらの堆積や経過では
そう簡単には人類に出現しないものなんだよね
っていうこと
たぶん
言いながら
…そう
とぼくは思っていた
人類にとって事件であるような文芸作品は必ずあり
時どき出現するのは事実
けれども
形式が同じだからといって
昨日も今日もそこらの書店に並ぶようなものとはそれらは違う
人類の最後の言葉であるそれらは
偶然や奇跡によって書かれ
読む必要のある人たちにやはり偶然や奇跡によって
必ず届くものなんだ
と
そして
もうぼくにはたくさん届いたので
それらを繙き直すだけでも
一生も二生も三生もかかりそうな塩梅なんだ
と
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