場所に憑く霊のようなものかもしれない
とわたしはわたしのことを思う
よく思う
だれでも馴染んだ場所のことは思い出すものと思う
懐かしく思い出すものと思う
せつなく思い出すものと思う
わたしも同じようなものだと
言えば言えるが
それは
なんであれ大げさに語らないように強いられる他人行儀の時のこと で
他人からいったん離れれば
ちょっと大げさ
ついこの前まで住んでいた場所や家や周囲のあれこれに執し
くりかえしくりかえしくりかえし
飽きもせず思い出し
心の中に何ヴァージョンも撮り置いた映像を
ためつすがめつ見直してみる
ついこの前まで住んでいた場所のひとつ前に住んでいた場所や
ついこの前まで住んでいた場所のひとつ前に住んでいた場所の
もうひとつ前に住んでいた場所や
ついこの前まで住んでいた場所のひとつ前に住んでいた場所の
もうひとつ前に住んでいた場所のさらに前に住んでいた場所や
ついこの前まで住んでいた場所のひとつ前に住んでいた場所の
もうひとつ前に住んでいた場所のさらに前に住んでいた場所の
さらにさらに前に住んでいた場所や
(わずらわしくなるので以下省略…)
などなどの
いちいちのものについて何ヴァージョンも撮り置いた心の中の映像 を
ためつすがめつ見直してみる
あゝ
(…と、感情を起動させやすい二文字を此処に置いたりして…)
ただこうするだけで
わたしは今回の生を過ごしてきた
なにもしなかったし
なんの夢も目的も持たなかった
だからゴールも到達もなかったし
達成もなかった
ごく最近になって気づいたのだが
わたしにはほんとうに
夢も目的も計画も抱負も方針も業績もなかった
それらナシで生きられることを期せずして証明してしまったらしい し
それらナシで生きのびてきた結果
不満が残るとか
さびしいとか
わびしいとか
そんな気分にもならないのも証明してしまったらしい
わかってもらえないだろうな
わかってもらえなくてもかまわない
現代にも
にっぽんにも
ほとんど属していないわたしだから
この時空のいちばんはずれの
皮膜
境界線そのもの
言語使用法ばかりか思考感情さえ誰とも共有しない
わたしだから
(まァ、大げさな…
ヴィヴェーカナンダとかラーマクリシュナになら
わかってもらえるかな?
わかってもらえなくてもかまわない
べつの如来だから
わたし
如来
来る如し
つまり
来ないもの
「スプーティーよ
「如来と言われるものは
「どこへも去らないし
「どこからも来ない
「それだからこそ
「如来であり…*
あゝゝ、言っちゃった…
*中村元・紀野一義訳による『金剛般若経』を若干変えて引用。
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