2018年3月27日火曜日

来る如し


 
場所に憑く霊のようなものかもしれない
とわたしはわたしのことを思う
よく思う

だれでも馴染んだ場所のことは思い出すものと思う
懐かしく思い出すものと思う
せつなく思い出すものと思う

わたしも同じようなものだと
言えば言えるが
それは
なんであれ大げさに語らないように強いられる他人行儀の時のこと
他人からいったん離れれば
ちょっと大げさ
ついこの前まで住んでいた場所や家や周囲のあれこれに執し
くりかえしくりかえしくりかえし
飽きもせず思い出し
心の中に何ヴァージョンも撮り置いた映像を
ためつすがめつ見直してみる

ついこの前まで住んでいた場所のひとつ前に住んでいた場所や
ついこの前まで住んでいた場所のひとつ前に住んでいた場所の
もうひとつ前に住んでいた場所や
ついこの前まで住んでいた場所のひとつ前に住んでいた場所の
もうひとつ前に住んでいた場所のさらに前に住んでいた場所や
ついこの前まで住んでいた場所のひとつ前に住んでいた場所の
もうひとつ前に住んでいた場所のさらに前に住んでいた場所の
さらにさらに前に住んでいた場所や
(わずらわしくなるので以下省略…)
などなどの
いちいちのものについて何ヴァージョンも撮り置いた心の中の映像
ためつすがめつ見直してみる

あゝ
(…と、感情を起動させやすい二文字を此処に置いたりして…)
ただこうするだけで
わたしは今回の生を過ごしてきた

なにもしなかったし
なんの夢も目的も持たなかった
だからゴールも到達もなかったし
達成もなかった

ごく最近になって気づいたのだが
わたしにはほんとうに
夢も目的も計画も抱負も方針も業績もなかった
それらナシで生きられることを期せずして証明してしまったらしい
それらナシで生きのびてきた結果
不満が残るとか
さびしいとか
わびしいとか
そんな気分にもならないのも証明してしまったらしい

わかってもらえないだろうな

わかってもらえなくてもかまわない

現代にも
にっぽんにも
ほとんど属していないわたしだから

この時空のいちばんはずれの
皮膜
境界線そのもの
言語使用法ばかりか思考感情さえ誰とも共有しない
わたしだから

(まァ、大げさな…

ヴィヴェーカナンダとかラーマクリシュナになら
わかってもらえるかな?

わかってもらえなくてもかまわない

べつの如来だから
わたし

如来
来る如し

つまり
来ないもの

「スプーティーよ
「如来と言われるものは
「どこへも去らないし
「どこからも来ない
「それだからこそ
「如来であり…*

あゝゝ、言っちゃった…



*中村元・紀野一義訳による『金剛般若経』を若干変えて引用。




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