二十世紀の(…二十一世紀の、でもあるかな…)南米を
ずいぶん後追いで真似っこして
政治も官界もすっかり腐敗しきってしまったニャッポンに居て
さぁて、マジ、どうすんべかナ、と
指針となるものを探していたら
あ、六月に
岩波文庫から『ラ・カテドラルでの対話』の訳が出ていたのネ
上下巻で、一冊600ページ以上
ぶ厚い、ぶ厚い、それに腐敗し切った社会のお話だしネ
若き頃に桑名一博訳を持っていて、
途中まで読んだけれど、中断して書架に入れっぱなし
あの頃はバルザックとドストエフスキーを全部読むのに忙しくて、
ドストエフスキーのほう、さすがにロシア語までは学び切れず、
日本語訳だけでしゅぽしゅぽしてしまったけれど、
バルザックについては、日本語版全集(あれ、 選集に過ぎないけれど、
でも、今から見直せば訳者たちそれぞれずいぶん頑張った訳で、
見事な訳業の成果だった…)を読んだ後、
フランス語でさらに読むべく、いつもプレイヤッド版を携えて、
どこへ行くにもバルザックしていた
卒論もバルザックの創作原理についての論だったし…
そんな読書三昧の頃には、なかなかバルガス=リョサにまでは
エネルギーを投入し切れず、中断ということになってしまったわけ
人生は短く、読むべき書物の山はいよいよ高し…
岩波文庫版の『ラ・カテドラルでの対話』を買い込んで、
若かりし日のリベンジをこれから行おうというところ
もっとも、 リョサを精魂込めて熟読している暇はいよいよないので、
休息の時間が取れた時に、ちょこちょこと読んでいく他はないが…
というのも、トーマス・マンやドストエフスキーの再読のほうが
ちりちりと心にかかってくるし、
なによりもフランス革命のイデオローグたちの思索のほうが
ズズズズズズーンと五臓六腑に響いて来ている
忘れる勿れ、現代は革命前夜だと
あなたも我もふたたびルソーに
コンドルセに
ロベスピエールに
サン=ジュストに
ならねばならない時節なのだと
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