2019年9月9日月曜日

時代が変わったといわれても眺め続けている



Oh, this ol' river keeps on rollin', though
No matter what gets in the way and which way the wind does blow
And as long as it does I'll just sit here
And watch the river flow
Bob Dylan Watching the river flow

ああ、この古い川は流れ続ける
たとえ何が妨げようと風がどちらから吹こうとも
流れ続けるかぎりずっと ただここに腰を下ろして
ぼくは川の流れを見ている
    ボブ・ディラン「川の流れを見ている」



いくつもの家に住んできたので
いくつもの台風の思い出

古い大きな借家では屋根のアンテナが倒れて
雨漏りがはじまり木の天井からぽたぽた
盥やバケツを置いても音が高く響く
なかに雑巾を敷いて滴の音を低めながら
明日もはやいから眠らなきゃ
とにかくはやく眠らなきゃと目をつぶる
その家の二階は雨戸がなく薄いガラス戸だけで
しかも客船の操縦室のように窓が横に広く
台風のたびに割れそうに思えて心配

井戸のある家では少し庭が低く
台風や大雨のたびに庭じゅうが水びたしになる
台風が過ぎた後に猫が外に出るのにも水を避けて
ときどき立ち止まっては前脚後脚をちょろちょろ振って
先っぽについた水を払おうとしている

デザイナーズマンションに住んだ時には
わざと軒をつけておらず雨だれは窓下の鉄板に落ちて
寝室のなかまで滴の音がタプタプポコポコと響く
台風どころかふつうの雨のたびにいつもこれで
周囲には騒音もないのに眠らせてくれない雨だれの歌
それが次第にこの家を離れたくなった理由のひとつ
デザイナーズマンションはいたるところ不便だらけで
洗濯物を干すにも便利にはできておらず
簡易な洗濯物干しを買ってベランダに置いてみていたが
細い鉄とプラスチックのこの洗濯物干しは
台風がやってくるとなると骸骨のように踊り狂う

がっしりした建物にようやく移って一階に住んだ時には
台風も大雪もなんでもござれと頼もしかったが
それでもベランダのあれこれは台風のたびに大はしゃぎ
スリッパはばらばらに吹き飛び
鉢ばかりかシャベルまであちこちに身投げ
なんと楽しき暴風雨であることかな!
これも地上の醍醐味!と最高に満喫
そしてたまたま住んでみた高層階は
がっしりした建物にはこれも違いはないものの
台風の風に揺られ続けてずっと震度2状態
太平洋からの海のかおりは海苔のかおりのようで
ほんとうに大型船で荒れる大洋に出たかのよう
船酔いしないように自分で身を揺らし出すしまつ

それでも台風といえば思い出される
おそらく四歳ごろの名古屋でのこと
川に近い鉄筋アパートの屋上にのぼって
父に抱かれて川の本流を眺めている
台風直後で上流から濁流が押し寄せて水量が増し
いつも散歩する川べりはとうに水に飲まれ
いまにも土手のこちらにまで溢れそうなのを眺め続ける
あゝ懐かしの名古屋市守山区市場の矢田川のほとり
かつかつの生活の小さな若い家族が住んだ
黒澤映画にでも出てきそうな慎ましやかな人々の地
安普請の家々や林や工場や草ぼうぼうの川べりの地
貧困層ばかりの土地ではなかったものの
まだまだ若くて仕事の不安定すぎた父には
転勤してきた名古屋市の中心に住むことは叶わない
恐ろしいほど増水した濁流を眺めながら
ここまで水は来ちゃうの?と子が聞く
ここまでは来るわけないじゃないかと父は言う
そうよここは大丈夫よとかたわらの母は言う
たしかにそこは四階にあたる屋上で大丈夫だが
ここまで水は来ちゃうの?と子が問う「ここ」は
とりあえず生きてはいるものの…という広い意味の「ここ」で
すぐそこにあんな濁流があるのを見ながら
世のどこにもありうる荒れ狂う「濁流」を思って
ここまでは来ないなんてとんでもない
安心など絶対にできないと子は思い
こんなところにいちゃ行けない
こんなところにいちゃ行けない
そう思いながら矢田川を眺め続けている
いつまで経っても眺め続けている
何十年経っても眺め続けている
時代が変わったといわれても眺め続けている




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