モーツァルトのピアノ協奏曲は
モダンピアノよりもフォルテピアノによるものを
やはり好む
ワルシャワの古楽器楽団をバックに
ヴィヴィアナ・ソフロニツキが弾いたものの全集版が手元にあるが
やはりこれに落ち着いてしまうことになる
アニー・フィッシャーもいいし
クララ・ハスキルもいいが
フォルテピアノの魅力には全くかなわない
(それにしてもハスキルが弾く時
(背景のオーケストラにいつも不満を感じてしまうのは
(なぜだろう……
フォルテピアノによるモーツァルトをしばらく聴いてから
アンリ・デュティユの交響曲No.1とNo.2に移ったが
これらを聴くのはひさしぶり
三軒茶屋にいた頃以来まともに向かっては
いなかったのではないか
色彩豊かな花火の連続のような時間が続くが
これを共有できる人は
一定数どこかに散って存在している現代音楽マニア以外には
もうこの世には誰もいないだろう
13歳から作曲を始めていながら
フランス放送勤務中には日に3時間しか作曲時間を取れなかった彼
控えめでもあれば
自分の創作に非常に厳しく自己批判的でもあって
主義や前衛やラディカルさを気取るのを一貫して避け続けたが
これは現代音楽における異色の音響の豊饒さを生み出した
ヒンデミットの「ヴィオラのためのソナタ」を
いま掛けはじめてみて
そういえば
これも聴くのはひさしぶりではないか
と
聴かないでいた五年以上の歳月の
全くの音楽的空しさを思う
キム・カシュカシャンとロバート・レヴィンの演奏だが
誰もいない
これを聴きながら
これについて
凝って淹れたコーヒーを淹れながら
あるいはコーヒーなしで
批評の鋭さを競いあうようなおしゃべりを交わせる相手も
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