かなり早い梅雨のおとずれとなり
鴨川の流れも荒れているのをニュースで見た
ことしの春は鴨川ぞいをながながと歩いた
下鴨神社を参詣してから
若松町あたりまでは歩いただろうか
戻って御池大橋から上がって
Zest御池まで行って蕎麦を食べた
五条大橋までは今回も行き損ねた
べつになにもない場所だが
大燈国師が二十年も橋の下に暮らして
餓死ぎりぎりをさまよう無告の民や乞食
病人らと寝食をともにした橋である
花園上皇はこの師風を慕い
紫野に大徳寺を建立して大燈を開山に迎える
日本における林下道場がここに創られ
唐代の峻厳きわまりない純禅の道が開かれた
無権力無財力にして
清貧孤高
常住坐臥
行雲流水
本来無一物の自己見性の純禅
五条橋の下の乞食の中から
大燈国師を見つけ出す話が面白い
大燈国師はまくわ瓜を好んだ
勅使がまくわ瓜を差し出して言う
足無くして来る者にこの瓜を与えよう
乞食たちは意味を解さなかったが
ひとりが足を引きずって近寄ってきて
ならば手無しで渡せと答えた
稀代の禅者の露見した瞬間である
五条橋下での長きにわたる飢餓修行は
大燈国師の片脚を不自由にさせた
結跏趺坐が組めなくなっていたという
死に臨んだ際には不自由な脚に向かって
これまではお前の言うことを聞いてきてやった
今度はわしの言うことを聞けと言って
片脚の骨を音立てて折って結跏趺坐し
座禅したままの姿で死んだという
こういう死に方を座脱という
やはり傑出した僧だった弟子の関山も
畳の上に寝ては死ななかった
旅衣して弟子と井戸まで歩いて行き
大樹の下で諄々と訓戒を垂れてから
立った姿のままで死んだ
こういう死に方を立亡という
大徳寺では今も開山忌の仏餉に
大燈国師の好んだ瓜を供えるという
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