大学の短歌の授業で
戦後短歌の中でいまだに唯一人気のある
寺山修司の
おもに初期の歌を紹介したら
ちょっとはピンときた学生らもいたらしい
怨嗟路線にあえて突入していく『田園に死す』は
まあ
しょうがないとも言えるが
寺山短歌が俄然つまらなくなって崩壊していく実況中継のような
『テーブルの上の荒野』
を
見直してたら
やっぱりどうしようもなくヘタで
いつもながらに
添削しちゃったよ
解説付きでね
「これらの歌をみてください。
独身のままで老いたる叔父のため夜毎テレビの死霊は来(きた)る
酔いどれし叔父が帽子にかざりしは葬儀の花輪の中の一輪
たった一人の長距離ランナー過ぎしのみ雨の土曜日何事もなし
亡き父の靴のサイズを知る男ある日訪ねて来しは 悪夢
洗面器に嘔吐せしもの捨てに来しわれの心の中の逃亡
どの歌も、
もちろん、それなりにうまくできていますが、しかし、
三首目の「何事もなし」、四首目の「悪夢」、五首目の「
寺山修司は1983年に47歳の若さで亡くなりますが、
最後に、いま挙げた『テーブルの上の荒野』の歌を、
独身のままに老いたる叔父のために夜毎テレビはテレビを演ず
酔いどれし叔父が帽子にかざりしは葬儀の花輪の一輪ならず
たった一人の長距離ランナーさえ見えずあたたかきかも土曜日の雨
亡き父の靴のサイズに興味なき息子のキラキラネームは「悪夢」
洗面器に嘔吐せしもの捨てに行く歌など作るな寺山修司
みなさんも、他人の短歌やその他の作品や仕事や業績などは、
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