俗人猶愛するは未だ詩と為さず
陸游
なんどもくりかえし言うように
詩を書いています!
などとは
わたしは言わない
それを言っちゃァお仕舞ェよ
というところが
ランボー+アポリネール+シュールレアリスム+
自由詩形式使用エクリチュールの領域にはあるわけで
なにかが詩であるかどうかについては
100%
最終消費者である読者側にのみ認定資格がある
しかも
同人誌だの
集まってよく駄弁ったり飲んだり褒めあったりするお仲間どうしの
「詩であるかどうか認定」ではダメで
どこの誰だかわからない
縁もゆかりもない最終読者の認定によるものでないといけない
見知ったお仲間たちは
結局
小規模な文化現象を形成した価値的同族に過ぎず
そうした同族を外れたところで
詩
がふいに決定的に普遍的に発生してしまうのでなければ
そのエクリチュールが詩であったとは
やはり
いえない
デリダの言い方を使えば
散種
を経なければ
詩
は生成過程には入れない
だから
同時代で多少なりとも
詩
かどうか
判定するには
詩において価値観を全く異にしている敵に
それも
多読乱読雑読を日常とするエクリチュールの狩人である敵に
詩
と認められるかが
唯一
参考になる
そういう時には
あいつは詩人などとは言えないしょうもない奴だが
それでも
あいつが書いたアレは
詩
としか
言えないナ
といった言葉が
嘆息
賞讃
認定
の息づかいとともに
ホロリと
こぼれたりする
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