シューマンの『東洋の絵《6つの即興曲》』を
紀尾井ホールで聴いている時
パリの街路にいる
ような
強い感覚
が
湧いて
不思議だった
シューマンは
ハイデルベルクやライプチヒで生きたのだから
パリの音がする
と
感じる
のは
どうかしている
かも
しれない
が
わたしの青年時代から壮年期に
さんざん親しんだパリのあちこちの空気が
からだのまわりに舞うようで
不思議だった
パリ
を
こんなふうに持ち出すと
ちょっと昔のおフランス気取り
と思われるだろう
が
青年時代から30年間は
フランス人のエレーヌといっしょだったので
東京よりも
パリのほうが親しい生活だった
もちろん
これは
誰よりもフランス文化を知っている
などということは
意味しない
どこにいても
どこに行っても
なにに取り囲まれても
知り尽くすどころか
ろくにわからないまま
時間は流れ去る
時は流れる、お城が見える
無傷な心がどこにある
と
小林秀雄の訳したランボーの
『最高の塔の歌』が
思い出される
すべてが過ぎ去って
たくさんの人が去って
死んでいって
どんな嘆き節を歌おうか
どんな挽歌を作ろうか
そんなことばかり
考えているではないが
そんなことが思いから去る時は
一時もない
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