夢窓国師の遺戒は強烈で
近代の退化した
いわゆる文化やカルチャーなるものを砕く
我に三等の弟子あり。いわゆる猛烈にして諸縁を放下して、専一に己事を究明する、
(私には3種類の弟子がいる。厳しく修行し、
修行純ならず雑駁にして学を好む、これを中等といふ。
(修行が純粋でなく、雑駁になっていて知識の勉強をする、
自ら己霊の光輝を昧して、ただ仏祖の涎唾を嗜む、
(真実の人間性の光を見ずに、
もしそれ心を外書に酔はしめ、業を文筆に立つる者、
(仏教以外の書に夢中になり、何か書いてばかりいる者、
いはんや飽食安眠、放逸にして時を過ごす者、
(いわんや、たくさん食べて、好きなだけ眠り、
古人喚んで衣架飯嚢となす。既に是れ僧にあらず、
(そういうのを昔の人は「衣紋架け」「めし袋」と言った。
老僧かくの如き説をなす、いふこと莫れ博愛の慈を欠くと。
(老僧の私はこんな考えなのだ。
どうにか世の中に混じって生きていけるのは
せいぜい
中等までの弟子だろうか
それとて
数は少ないわけで
だいたいは
仏祖の涎唾を嗜む者や
心を外書に酔はしめ、業を文筆に立つる者
飽食安眠、放逸にして時を過ごす者
などから
世の中はできあがっている
本を読まないことの重要さや
とりわけ
書かないことの重要さを
夢窓国師は
じつに
よくわかっていた
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