2021年11月16日火曜日

なにもかも

  

他人をさげすみはしないが

他人のわたしに格別の関心もないから

ぼんやり視野に入ってもちゃんとは見もしないし

それが文字で書かれていても写真で表わされていても

やはり読みもしないし凝視しもしない

 

他人からしても同じことだろう

 

わたしのわたしに興味のない他人に

わたしのわたしをひけらかしたところでやはり意味もない

ならばわたしのわたしは

わたしに向けてのみ表わしたり

わたしに向けてのみ書き表わしたりするということになるが

わたしはわたしのわたしをだいたいは知っているのだから

表わしたり

書き表わしたりするまでもない

 

ただ

だいたいは知っている

というのは

けっこう思い込みで知っているつもりになっているということなの

じつはかなり知らなかったりする

そういう意味では

わたしのわたしを

わたしに向けてのみ表わしたり

わたしに向けてのみ書き表わしたりするということも

わたしにとってのわたしのわたしを

もうちょっとちゃんと知る上では無意味ではない

ということになる

いずれは

わたしのわたしをわたしは手放して消滅していくのだから

そこから遡及して考えれば

わたしにとってもわたしのわたしなどどうでもよいということにな

わたしにとってのわたしを知るべきだ

などというのは子供の世迷い言で

なにが

汝自身を知れ

だ!

いつも思う

 

くだらないことだ

 

知ったところで

どうせ死んでいくのだ

どうせすべては失われていくのだ

 

この世で人間がやること

思うこと

願うこと

期待すること

希望すること

なにもかも

くだらないことだ




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