他人をさげすみはしないが
他人のわたしに格別の関心もないから
ぼんやり視野に入ってもちゃんとは見もしないし
それが文字で書かれていても写真で表わされていても
やはり読みもしないし凝視しもしない
他人からしても同じことだろう
わたしのわたしに興味のない他人に
わたしのわたしをひけらかしたところでやはり意味もない
ならばわたしのわたしは
わたしに向けてのみ表わしたり
わたしに向けてのみ書き表わしたりするということになるが
わたしはわたしのわたしをだいたいは知っているのだから
表わしたり
書き表わしたりするまでもない
ただ
だいたいは知っている
というのは
けっこう思い込みで知っているつもりになっているということなの
じつはかなり知らなかったりする
そういう意味では
わたしのわたしを
わたしに向けてのみ表わしたり
わたしに向けてのみ書き表わしたりするということも
わたしにとってのわたしのわたしを
もうちょっとちゃんと知る上では無意味ではない
ということになる
が
いずれは
わたしのわたしをわたしは手放して消滅していくのだから
そこから遡及して考えれば
わたしにとってもわたしのわたしなどどうでもよいということにな
わたしにとってのわたしを知るべきだ
などというのは子供の世迷い言で
なにが
汝自身を知れ
だ!
と
いつも思う
くだらないことだ
知ったところで
どうせ死んでいくのだ
どうせすべては失われていくのだ
この世で人間がやること
思うこと
願うこと
期待すること
希望すること
なにもかも
くだらないことだ
0 件のコメント:
コメントを投稿