2022年2月20日日曜日

神の絶対的な完全さは誉むべきかな!

  

ぼくの住んでるとこは

夜でもひとがエレベーターで上り下りしてる

けれども

さすがに深夜3時ごろになると

もうだれもエレベーターで上り下りしないので

その頃がまぁ

ゴミを捨てに行ったりする狙い目といえば

狙い目だ

 

ぼくは人に会うのがほんとうに大嫌いで

外から帰ってきて

エレベーターホールで人が待っていたりすると

まぁ我慢することもあるにはあるが

待っている人たちの目の前で踵を返して

外に出て行ってしまって

そこらをぐるりとまわって帰り直してくることもある

人嫌いが常軌を逸しているほどで

そもそもがソーシャル・ディスタンスとかいうのが

ぼくの行動様式のデフォルトなので

じつはソーシャル・ディスタンスが流行ってくると

ようやくぼくの時代が来たか!

とうるうるした目になりそうだった

 

さっきもエレベーターで下りて

ゴミを捨てに行ってきたけれど

さいわいだれも途中で乗ってこなくて

ああなんという平安であろう!

とうっかり神に感謝しそうになった

神といえばライプニッツの定義では

絶対的に完全なるものなのだそうだが

そういう神にゴミ捨てに行くエレベーターで

だれにもあわないで済んでありがとう!

なんて感謝するのも

ちょっとカテゴリーエラーな気もする

もっともライプニッツも

自然界にはいろいろな完全さがあって

それらの完全さを神はぜんぶ持ってるって

考えをのばしていこうとしているので

ゴミ捨てに行くエレベーターで

だれにもあわないで済ませてくれる完全さ

なんていうのも

まぁ神の完全さの一部に入るのではあろう

 

こないだ書庫の奥から出てきた

外山滋比古の『思考の整理学』というのを

捨てちゃおうと思いながらも

その前にサッと見直しておこうかと

ゴミ捨てに乗るエレベーター内読書用に

ポケットに入れて持って出る

エレベーター移動といっても数十秒だから

たいして読めないので進まないが

べつにエレベーター内読書用と決めてあるので

進みぐあいが遅いのはべつにかまわない

 

この本はほんとにくだらないと思っている

大学の生協では名著だとかいって積んだりしているが

中学生に勧めるのならいざ知らず

大学生に勧めるのはバカにしている

ぼくらの時なんかいきなりマックス・ウェーバーや

モンテーニュや史記だったりしたもんだが

こんな中途半端なエッセーを読ませるのは

やっぱりバカにし切っていると思う

だいたいこの著者がどれほどの大学者だったんですか

なんて考え出すとアホらしくなってきて

どうして南方熊楠を薦めないんだ!

などと義憤に駆られたりもするのだが

これが令和ってもんなんでしょうか?

 

ところがぱらぱら見ていると

この本は文章がとてもよい

名文とか味わいがあるとかいうのでなく

つとめて短文にしようとしていて

ものを書くのが苦手な学生や

名文を狙うのなどとんでもない人に

どうにかこうにか切り抜けるお手本にはなる

そういう意味で文章がよいので

ふつうに言えばぜんぜんいい文章じゃないが

あえて大学のセンセがお手本を見せているのが

まぁいい根性だといえば言える

なぁるほどこんなところに取り柄もあったか

とゴミ捨てエレベーター移動のたびに

この本に対する根深いバカにしぐあいを

すこぅし薄めるようになってきた

 

神の絶対的な完全さは誉むべきかな!





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