ウクライナのことで
戦争が始まりそうだとかなんだとか
ちょうどいいネタなので国際マスコミが煽っているが
小競りあいはちょこちょこ起こっても
戦争というものは「起こる」とか「始まる」ものでなく
大勢の人間が非常な労力をかけて「起こす」とか「始める」
巨大過ぎるほどの生産ラインなので
何年もかけてさまざま分野で戦争「工場」の設備を整え
分野相互の調整をたくみに綿密にやりながら
「稼働」させないといけない事業というべきなのだとは
別宮暖朗氏の『誰が大平洋戦争を始めたのか』*で
かつて学んだ
戦争はいわゆる「大義名分」などなくとも開始できるが、「動員」
わたしが日ごろ親しんでいるのはフランス革命戦争とか
ナポレオン戦争のたぐいなので
戦争については日常のテーマとして頭をめぐり続けているのだが
この「膨大なペーパー・ワークを伴う」というところは
どんな戦争論からもこれほど単刀直入に教えられたことはなかった
当たり前といえば当たり前のことなのだが
ふつうのお役所仕事や学者の紙媒体での資料集めどころではない
細かい上に複雑この上なく
たえず変更に次ぐ変更が続く(そうしないと戦争には負ける)
「膨大なペーパー・ワークを伴う」
やっぱり言葉ではっきり示されないといけなかったのは
ちょっと恥ずかしく思う
そもそもわたしはロシアが好きだし
近未来ではロシアと中国に思考のベースを移そうと思っているくら
現代のリーダーとしてはプーチンと習近平が大好きなので
日本に流れ込むアメリカ経由のニュースが
しかも大がかりなインチキ選挙でバイデンをサル山に上らせた
あの醜い民主党
いちいちあらゆる細部にわたってムカついてたまらない
(ついでだがおめでとう!
(中東で戦争を煽りまくったCNNの完全凋落!
ウクライナのことだって
例えば映画『バトルフィールド クルーティの戦い』(2019)を見ておけば
おいおい、そう簡単に気分的に介入すんじゃないよと
わけもわからずNATO派に属そうとするバカに言ってやりたくな
そんな程度のものも見ておかずにNATOしちゃうのが
まさにバカのバカたるゆえんなのだから
しょうがないといえばしょうがない
そんなことを思いながら
たとえばこんな日本語記事を見てみると
偏向思考がどうこういう以前に
やっぱり日本語にこびりついた文体が
バカをいっそうバカにさせているんじゃないだろうかと
日本語のダメさを思ったりもする
事実と記事執筆者の勝手な推測や思い込みがごちゃまぜで
これはもちろんどんな言語でも可能だが
ことに日本語の場合はヘンテコな文体美学があるので
事実に近いことを伝えようとする時には
もうどうしようもない屋台村のインチキ焼きそばみたいになってし
一線越えれば「全面戦争」 ロシア演習、米欧に警告
時事通信 2022年02月19日20時35分
ロシアは軍最高司令官のプーチン大統領の指揮下、
◇くさび打ち込む
ロシアが昨年12月に示した提案には欧州でのミサイル配備制限も
NATOに比べ通常戦力で劣るロシアにとって、
ロシアは昨年来、10万人以上の軍部隊を国境付近に集結させ、
◇奪還論けん制
ウクライナには、ロシアに「奪われた」
ウクライナと同国東部の親ロシア派は、互いに相手側から「砲撃」
お笑いとしてはいいかもしれないが
あるべきジャーナリズムの初歩もクリアできてない駄文であろう
思い切ってこのくらい素直にぶちまけてみろよ
と思ってしまう
《軍最高司令官のプーチン大統領の指揮で、ロシアは、
北大西洋条約機構(NATO)
米欧とロシアの交渉が続けられている。
ロシアが出したメッセージは、
◇くさびを打ち込む
ロシアが昨年12月に示した提案には、
米欧もこれには応じる方向だ。
NATOに比べ通常戦力で劣るロシアにとって、
大量破壊兵器で攻撃された場合だけでなく、
ロシアは昨年来、10万人以上の軍部隊を国境付近に集結させた。
自国にとっての勢力圏だと位置付けているウクライナが、
ミサイル演習は緊張を極限まで高めるものだ、と時事通信は思って
ロシアは自国の核兵器使用基準が低いことを示してNATOを萎縮
◇奪還論けん制
ウクライナ国内には、ロシアに「奪われた」
プーチン氏は7日、NATO加盟をめぐって、
ウクライナと同国東部の親ロシア派は、互いに相手側から「砲撃」
東部の停戦などを定めた「ミンスク合意」は、
プーチン氏としては、ウクライナに、
記事を支える地の文の主語を
まったく明瞭に出さないように腐心するというのがマスコミ文で
それはもちろんお役所文も同じことだが
こういう文の書き手や出版者には
いちいちの文の主語の明確化を迫れば
たいていの文章は崩れ去るしくみになっている
「みている」「懸念される」「みられる」についていちいち
はいはい、誰が「みている」の?
誰が「懸念している」の?
「みられる」なんて書くのはだァれ?
もちろん時事通信がどう思ってみてもいいし
想像を逞しくしちゃったり
なんやかや言ってみたっていいのだが
(言語配列における自由というのはかくも絶対的なものである!)
しかし動詞を使う時はいちいち主語を明示しろよな!
なんである
谷崎潤一郎とか丸谷才一の『文章読本』が教えるような
日本語を書く時にはとにかく主語を省け!
ってのは
ダメだからな、出来事伝達文の場合は!
*別宮暖朗『誰が大平洋戦争を始めたのか』(ちくま文庫、200
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