2022年2月24日木曜日

T.S.エリオットのインパーソナル・セオリー


 


..エリオットは

インパーソナル・セオリー(没個性説)を唱えた

 

詩の創造に際して起こるのは

酸素と二酸化炭素(亜硫酸ガス)があるところへ

プラチナのフィラメントを入れた時に起こる化学変化に似ている

 

彼はいう

 

触媒材のプラチナは

化合の前後で

まったく増減せず

変化しない

 

詩人の個性は

このプラチナであって

化合前の素材も詩人自身でなどないし

化合後の化合物も詩人自身でなどない

 

化合を引き起こす触媒としての個性

そこにしか

詩人の個性なるものはない

 

いったようなことを

彼はいう

 

ここから

芸術とは不断の自己犠牲だとか

不断の個性の消滅だとか

言いたがる人も出てくる

 

しかし

このインパーソナル・セオリーは

完全に間違っている

 

だれであれ

どんなものであれ

書くひとや

落書きするだけの小学生でさえ

ごくごく

素朴にかえりみてみれば

すぐにわかる

書いたあと

自分というやつが

変わってしまっていることに

 

触媒材のプラチナのようなものの効果は

ある

こういうものは

なるほど

ある

 

しかし

人間における創造の際

触媒材となった詩人自身の個性は

化合後

確実に変貌する

詩作ばかりでなく

芸術創造というのは

おなじ身体を維持したままでの変身であり

もし変身でないのならば

そこには

たぶん

創造はなかったはずだから

 

だいたい

おなじ身体のままでいるのかどうかも

ほんとうはあやしい

きっと

アルタード・ステーツしている

と思ったほうが

いい

 

T.S.エリオットが

触媒材に注目したのまでは

よかったが

科学知識の使用法としては

ちょっと

レベルが低い

もうすこし

譬えとして用いながら

概念上の“創造的進化”をさせておくべきだった

(ちなみに

(エリオットというアメリカ人は

(ヨーロッパに入り込む際に

(まずはパリに留学し

(しっかりベルクソンの講義を聴いている

 

だいたい

エリオット自身

化合に次ぐ化合の後では

ずいぶん変化してしまっている

 

ノーベル賞受賞者にまで

変身

してしまった

くらいなんだから

 





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