春になると
『論語』の暮春春服を思い出す
先進第十一の
あの有名な箇所だ
孔子が
弟子の子路
曽晳
冉有
公西華らとおしゃべりしていて
かれらの将来の夢をたずねた
弟子たちは
だいたい
国家の中枢に入って政治を行い
理想の強国にしてみる
というようなことを言った
ところが
曽晢だけは
そのような政治のことは考えていない
という
そこで孔子が問うと
曽晢は答える
莫春者,春服既成;冠者五六人,童子六七人,
浴乎沂,風乎舞雩,
晩春のいい季節に
新しく仕立てた春着を着て
青年五六人
少年六七人をひきつれ
沂水で身を清め
舞雩で一涼みした後
詩でも吟じながら帰って来たい
と考えています
それに対して
孔子はこう反応する
夫子喟然歎曰
吾與點也!
先師は深く感歎していわれた
私も点の仲間になりたいものだ
この箇所は
たびたび思い出すが
ふと
暮春に春服ができる
というのは
じつは
ちょっと遅すぎるのではないか
と思ったことがあった
しかし
暮春というのは
清明(4/4)から立夏の前日(5/4)までのことで
現代のふつうの日本語感覚から受けるものとはちょっと異なる
4月のはじめも
すでに暮春なのだ
時候のあいさつで「暮春の候」がすぐに使われるのも
ここから来る
芥川龍之介は
第六短編集『春服』の扉に
この
莫春者,春服既成;冠者五六人,童子六七人,
浴乎沂,風乎舞雩,
を入れようとして
版も組んでいたという
ところが装丁者の小穴隆一の入院騒ぎがあって
春陽堂の編集者小峰八郎が忘れ
芥川自身も忘れて
結局ナシになってしまった
他方
第一短編集『羅生門』の扉には
夏目漱石先生の墓前に獻ず
と書いて
芥川は
次の句を載せた
千峯雨霽露光冷 君看雙眼色 不語似無愁
千峯雨霽れて
露光冷(すさま)じ
君看よ
双眼の色
語らざれば
愁ひ無きに似たり
これは
白隠「槐安國語」の「卷五第八則」の「三界無法」や
「禪林句集」等に載っている
大燈国師こと鎌倉末期の臨済僧・宗峰妙超の
七言一句に
臨済宗中興の祖
江戸中期の白隠慧鶴が附した
五言二句の偈の部分である
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