2022年4月3日日曜日

暮春春服

 

 

春になると

『論語』の暮春春服を思い出す

先進第十一の

あの有名な箇所だ

 

孔子が

弟子の子路

曽晳

冉有

公西華らとおしゃべりしていて

かれらの将来の夢をたずねた

弟子たちは

だいたい

国家の中枢に入って政治を行い

理想の強国にしてみる

というようなことを言った

 

ところが

曽晢だけは

そのような政治のことは考えていない

という

そこで孔子が問うと

曽晢は答える

 

莫春者,春服既成;冠者五六人,童子六七人,

浴乎沂,風乎舞雩,詠而歸。

 

晩春のいい季節に

新しく仕立てた春着を着て

青年五六人

少年六七人をひきつれ

沂水で身を清め

舞雩で一涼みした後

詩でも吟じながら帰って来たい

と考えています

 

それに対して

孔子はこう反応する


夫子喟然歎曰

吾與點也!

 

  先師は深く感歎していわれた

私も点の仲間になりたいものだ

 

この箇所は

たびたび思い出すが

ふと

暮春に春服ができる

というのは

じつは

ちょっと遅すぎるのではないか

と思ったことがあった

 

しかし

暮春というのは

清明(4/4)から立夏の前日(5/4)までのことで

現代のふつうの日本語感覚から受けるものとはちょっと異なる

4月のはじめも

すでに暮春なのだ

時候のあいさつで「暮春の候」がすぐに使われるのも

ここから来る

 

芥川龍之介は

第六短編集『春服』の扉に

この

莫春者,春服既成;冠者五六人,童子六七人,

浴乎沂,風乎舞雩,詠而歸

を入れようとして

版も組んでいたという

ところが装丁者の小穴隆一の入院騒ぎがあって

春陽堂の編集者小峰八郎が忘れ

芥川自身も忘れて

結局ナシになってしまった

 

他方

第一短編集『羅生門』の扉には

 

夏目漱石先生の墓前に獻ず

 

と書いて

芥川は

次の句を載せた

 

千峯雨霽露光冷 君看雙眼色 不語似無愁

 

千峯雨霽れて 

露光冷(すさま)じ

  君看よ 

双眼の色

語らざれば 

愁ひ無きに似たり

 

これは

白隠「槐安國語」の「卷五第八則」の「三界無法」や

「禪林句集」等に載っている

 

大燈国師こと鎌倉末期の臨済僧・宗峰妙超の

七言一句に

臨済宗中興の祖

江戸中期の白隠慧鶴が附した

五言二句の偈の部分である

 





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